だいぶん前の話ですが、一学期の定期試験前の土日を利用して(試験の後だと採点に追われるので……)鳥取県立図書館に資料を集めに行って来ました。中国地方に伝承されている歌謡や唱えごとを調べるのが第一の目的ですが、もう一つの目的は、鳥取県における安徳天皇伝説の文献を見ることでした。残念ながら、その文献は所在不明でしたので、ほかの二次資料をコピーして帰宅しました。
皆さんは、小学校や中学校で平家が滅び源氏が政権を握る一連の歴史を習ったでしょう。歴史的事実としては、平家一門が壇ノ浦の合戦に破れた時、幼い安徳天皇は祖母に当たる清盛の妻二位尼(にいのあま)に抱かれ入水しました(私は小学生の頃、これって無理心中だ、無自覚のお子ちゃまを勝手に天皇にしといて子どもを何と心得る、とむかっ腹をたてたものです)。山口県下関市の赤間神宮に、この幼い天皇は祀られています。さて、先に、「歴史的事実としては」と書きました。実は、この幼い天皇が実は生き延びてひそかに山中に隠れ住んでいた、というお話が日本全国に少なからず分布するのです(四国・中国・九州など)。鳥取県にもいくつか伝承地があって、安徳天皇のお墓だ、とされる場所も複数あります。教科書で習う、いわゆる「歴史的事実」と矛盾してしまいます。
でも、「それってでっち上げジャン」と切り捨てないでいただきたい。まず、平家方の人々が全て死に絶えたわけではない。平家の落人(おちうど)たちが自分たちのアイデンティティーの拠り所として語ったものが、伝承されるうちに姿を変えていった話も当然あるでしょう。あるいは平家と直接かかわりが無い人々であっても、盲目の琵琶法師たちによって日本各地に運ばれた『平家物語』を、「これこそ《私たちのお話》」と受け止めて自分たちなりの解釈で伝承したらしいケースもあります。そして、幼くして死んでいった安徳天皇、かわいそうな貴種(=貴い身分の生まれの人)を悼み、心を寄せ、お話の中で生かし続けると同時に、自分たちの中にある何かを「お話」によって昇華してきたのだと思います。お話を伝える人々にとって、「お話」は「歴史的事実」と同じく大切な、重要なもの、「でっちあげ」などと簡単に片付けてよいものではありません。
私は自己紹介でも書いたように外国語学部で「文学」の講義をしています。文学は人間の有り様やあるべき姿を描くものです。「歴史的事実」と「お話」、正しいのはどちら、という立場を私は取りません。むしろ、両方を同じ比重で扱うことで、人間が時代の中をどう生きているのかを考えられると思うのです。