中国語は私の隠された特技の一つです。以前、3年間台湾で仕事をしていた時に聞き覚えました。いわゆる中国語の授業と呼ばれるものはほとんど受けたことがないので、入門時に教室での学習が中心だった英語とは全く異なる方法で習得した言語だと言えます。
台湾に赴任した当時の中国語の知識は「謝謝」や「再見」などの数個のフレーズのみで、ほとんどゼロでした。台湾では公用語である北京語の他に台湾語や客家語などが使われていると聞いていましたが、最初は街で聞く言葉はただ単に中国語と認識していて、もちろんその区別はついていませんでした。しばらくして現地の友人ができ、筆談を交えながらコミュニケーションを取るのですが、その時に外国人の私に向けて使われるのはほぼ100%北京語であったことに後で気付きました。そんな言語環境の中で、私は徐々に北京語を習得し、数カ月後には電話でも友人と会話を楽しめる程になり、1年経った頃には買い物時の短いやり取りくらいでは外国人だとは気付かれないくらいになっていました。
この頃には、北京語と台湾語の区別もつくようになっており、私の友人が話し相手や状況、そして話題によってこの二つの言語を自由自在にスイッチしたり、混ぜて使ったりする様子がとても面白く思えてきました。でも、私に向けて話されるのは決まって北京語だけです。ですから台湾語は最後までほとんどわからないままでした。私が同席する食事の場面で友人たちが台湾語の会話で盛り上がり、それが延々続いて一人取り残されたような気持ちになり、大人気ないとは思いつつも拗ねたことがよくありました。私が「どうして私のわからない台湾語を使うの」とたずねると「北京語では盛り上がらない」とか「よそよそしい感じがする」といった返事が返ってきました。この頃から言語とは単に情報を伝達するだけではなく、自分自身がどういう者であるのかや、自分と相手との関係を定義する働きがあるのだと実感するようになりました。こういった経験が後に私を社会言語学の道へと導いたのだと思います。
その後、日本に帰ってからは中国語をまったく使わなくなってしまいました。時々、観光地などで台湾からの旅行者の団体に出くわすと、彼等が話す中国語に耳を傾けます。台湾國語と呼ばれる独特の言い回しや訛りを持つ中国語を聞くと、そんな言葉を毎日聞き、使っていた当時にタイムスリップして色々な思い出がよみがえり、無性になつかしくなります。この感覚はどういうわけか英語にはないものです。やはり、習得のプロセスが全く違うからなのかもしれません。