最近まで汗だくになって自転車のペダルを回しとったのに、気がつけば随分と清涼な風が私の顔を撫でるような、そんな気持ちの良い季節になってしまいました。きっと、すぐに冷たい風が顔に吹き付けるようになるんだろうなぁ。夏が終わるのは少し切ない。
最近私は論文書いております。でも、卒論ではありません。ただ書いております。はい、勝手に。完全に趣味で書いています。純粋に世の中の不思議にワクワクチャレンジしております。四六時中そのことを考えて脳みその中を冒険しています。はい、よく迷子になりますが。かなり面白いです。でも、いろんな人にお世話になっています。それに関しては本当に感謝です。ありがとうございます。
え?なんでそんなことを!!書く必要もないのに!!何て思う人もいることでしょう。いやいや、だって全く同じだもの。皆さんにも無条件にやってて楽しいことがあると思います。私の場合たまたまその楽しいことが「不思議」と戯れることだったのだろうねぇ。
さて、本日は論文それ自体のお話ではなくて、「当たり前」について書きたいと思います。「当たり前」っていったい何のことでしょう。みんなが同じようにすること?みんなが似たように持っている意見や見解のこと??それとも常識のこと??じゃぁ、常識って何??
論文の内容を構想し、文献を読みあさり、ぶつかった疑問に対して考える。一つのことをもの凄く深くまで考えようとするとき、色々なことに気がつき、そして色々なことについて考えさせられます。私が思ったことは「当たり前」ってなんだろうなぁ、ということです。
人は何かを話したり行動したりするときに「当たり前」を前提として行うようです。でも、もう少し踏み込んで考えてみるとこの「当たり前」というのは面白いようです。なぜかというと、「当たり前」は時代によって、住む場所によって、文化によって、更には同じ時代でも立場によって違います。例えば、学生さんと大工さんと銀行員さんが持っている「当たり前」は異なります。
そしてまた、どうやら人は「当たり前」が好きなように思います。みんなと同じような考えや前提の中で過ごしている、と自覚できた方が安心できるからだと思います。もちろん私自身もそうです。っというか、私自身の日常生活をおくるためには、私が住んでいる時代・場所・文化・立場に似合った「当たり前」を前提としていないとスムーズに事が運びません。
でも、ここからたまに厄介なことになるようです。人は「当たり前」を前提として色々なことをする。しかし、「当たり前」は同じ時代でも立場によって異なっているのだから、行動の前提は、ある程度ではありますが人それぞれだということになります。そこから、人間関係に摩擦が生じることが結構あるように思います。例えば、友人同士が喧嘩をしているとします。私は友人には仲良くして欲しいのでアラアラと思います。なので、どういった訳でそうなったのかを窺います。するとどちらかに非があるというよりか、むしろお互いの「当たり前」の相違から話がこじれてしまった。そんなことがよくあります。
興味深い点は、人間とは「当たり前」が人それぞれ違うということに対して、相違があって「当たり前」なのだ、とはなかなか思えないということです。もし人が皆、人それぞれの「当たり前」は違っていて「当たり前」なのだ、と思うことが出来たらもっと素敵な社会になるような気がします。
そんなことを、秋の虫の声をききながら思う今日この頃です。