June 12, 2009

ぽわっそん(魚) だヴりる(4月の)

英語で言うエイプリルフールのことですね〜
エイプリルフールはフランスが起源らしいですよ。
フランス文化の残るケベック州でもこの週間はあるようです。

子供たちが魚の形に切った紙を友達の背中にこっそり張ったり、冗談を言ったりするみたいです。そして、そのことがばれたら「ぽわっそん だう゛りーる☆」と言うようです。
私もこの週間にならって友人に紙の魚を張り付けてみました。

なぜ4月の魚なのか、ちょっと調べてみました。
諸説ありました。が、私の頭の中でまとめたものをご紹介します。



?4月1日のわけ

 1564年、仏王シャルル15世さんは決めました。
 次の年から1月1日を年の始めにしよう!!と。
 それまで仏は4月1日が年の始めだったそうです。
 そんなこんなで1565年は1月1日から始まりました。
 
  フランスには年の始めに贈り物をしていました。
  1月1日にBonne Année!といってプレゼントをあげていたそうです。
  でもやっぱり今までの習慣で4月1日にもなんかしよっかー
  ということで、ウソの新年にちなんで、ちょっとした面白い贈り物をしたり、冗談を言うようになったそうです。


?なぜ魚?
 
 これはね、いろいろ逸話があって面白いんですよ。
 
 ・そのころ仏では4月初め漁が禁止されていたので、働けない漁師さんへの冗談で川に  ニシンを流したりしたらしいです。
 
 ・4月上旬はイースター前で、1週間ほどお肉が食べられない
  =魚食べる 
  もうそろそろ魚は飽きてきたよー
  という冗談で「ああもうっ!4月の魚!!」になった

 ・4月上旬は月が黄道上(第1星座はうお座)から出てくるため。
 
 ・その他もろもろ


というかんじです。
まあちょいとした冗談を楽しむ日なのでしょう。

May 18, 2009

西ミクロネシアのパラオ島

今回は、西ミクロネシアのパラオ島を訪れてみましょう。石のお金で知られているヤップ島から500キロほど南西に位置しています。広大なラグーンに点在する200ものキノコ状の小島から成るロックアイランドは、その目を見張る美しさで日本の観光客の人気スポットになっています。
 第一次世界大戦終結後、ドイツが支配していた広大なミクロネシアの日本委任統治時代が始まりました。日本化推進から日本語教育が行われ、宗教として神道が導入されました。サイパン島の彩帆(サイパン)神社や、ミクロネシア統治中心の南洋庁が設置されたパラオ島には南洋神社が建設されました。そのため、年配の方々は今でも驚くほど流暢な日本語を話し、各島に神社跡が残っていて、とても不思議な気持ちになります。
 第二次世界大戦後にはミクロネシアはアメリカの信託統治時代を迎え、英語が公用語となり現在に至っています。ご存じないかも知れませんが、日本に最も近い英語圏で、島の言葉と日本語か英語が話されるバイリンガルの地域でもあります。

 不思議にも、パラオ島にしかない巨石遺跡やテラスと呼ばれる丘陵を階段状に削った砦跡のような遺跡が残されています。なかでも、ストーンマネーはこの島で作られ、カヌーではるばるヤップ島に苦労して運ばれました。その製作跡がいくつか残っています。また、ストーン・フェイスと呼ばれる表情の異なる人の顔をかたどった巨石が、島の至る所に立てられています。それぞれの石には伝説が伝えられていて、見ていると楽しくなってきます。島の北端部の眼下に太平洋を見渡せる平坦地に、モノリスと呼ばれるグアム島のラッテストーンのような柱状の巨石が並べられた遺跡があります。

 ところで、所々の村に見られるバイと呼ばれる伝統的な集会場は、空港やコミュニティ・カレッジの休憩場などのモチーフになっています。また、バイに描かれた伝説や神話を分厚いマホガニーの板に彫刻したストーリー・ボードと呼ばれるおみやげがあります。日本委任統治時代に土方久巧(ひじかたひさかつ)という芸術家が広めたもので、今ではパラオの伝統工芸になっています。こんな風に伝統って継承されるのですね。

February 4, 2009

体験談

 今回は、最新情報をお届けしましょう。遺跡の発掘調査に出かけました。もちろん、目的地はミクロネシアの赤道に近いポーンペイ島です。今までにない超過酷で過激な調査となり、体力の限界をひしひしと感じてきました。「10年若かったら」などと、さすがの私も弱音を吐いてしまいました。
 諸事情から、出発までの準備期間が2ヶ月しか残されていませんでした。発掘調査には、現地政府の歴史保存局から許可を獲得する必要があります。申請書の審査を受けるのですが、まるで入学試験の合否発表でも待つような感じで、落ち着きを完全に失っていました。その上、他人の土地にある遺跡を発掘するわけですから、地主とその地域の首長からも許可を得なければなりません。一方、手遅れにならないうちにフライトの予約。グアム経由は、夏休みのため混雑していて予約が大変なのです。

 うれしいことに、ニュージーランドの大学院に留学中の元気な拓也君が参加してくれました。拓也君とグアムで合流し、飛行機を乗り継いで夜中に現地入り。2日後に州政府の歴史保存局の協力を得て、発掘用具や日本から持ち込んだ荷物で満載になった車を走らせ、1時間ほどでメチップという村に到着。宿泊は、マングローブ湿地横に建てられた現地のお宅にホームステイ。毎晩、蚊との大戦闘で、まさに太平洋戦争状態でした。
 お借りした木の葉で編んだ薄いゴザが敷布団代わり。両側の腰骨あたりに床ずれ状の円形の痛々しい茶色いアザが、その時の後遺症としてしばらく残っていました。水道設備のない環境で、バナナ料理やココナッツミルクで煮たヤムイモや熱帯魚の刺身など現地の食生活。とてもおいしかったですよ。

 調査の目的地は、内陸部と山頂の遺跡群。高温多湿の熱帯多雨林のジャングルの急な斜面に足を滑らせながら、発掘道具や測量器械をかついでの探検隊状態。運動量が過ぎたのでしょうか、帰国時には体重が5キロ減っていました。それも今となっては、楽しい思い出となっています。リバウンドも時間の問題でしょう。ミクロネシアのインディ・ジョーンズは、映画と違って格好の良いものではないのです。
 苦労の結果、予想以上の調査の成果がありました。そのことを、授業で学生たちにお話しできることをとても楽しみにしています。

November 18, 2008

ヤップ島

 グアム島から400キロほど南西に、ヤップ島があります。この火山島には、不思議なストーンマネー(石貨)と呼ばれる世界最大の石のお金があります。まるで原始時代を描いたアニメに出てくるまんがチックな石のお金です。小さなものは30センチくらいですが、大きいものは4メートルもあります。中央に棒を差し込んで運搬するための四角形や円形の穴があいています。70年前に調査した日本人研究者は、なんと13,000個もの石貨を記録しています。
 各地域の村々の中心には儀式や話し合いが行われる集会場があり、数キロ離れたそれらの村々はジャングルを貫く石敷きのトレイルでつながれています。先史時代のそのみごとなネットワークに驚かされます。集会場前の通路には、石のお金がずらりと並べられ、ストーンマネー・バンク(石貨銀行)と呼ばれています。儀式の時には、そこで伝統舞踊が繰り広げられます。

 ところで、石のお金はヤップ島で作られたのではなく、およそ450キロ南のパラオ島で作ってカヌーで運ばれたものなのです。パラオ島には、石貨製作跡として先史時代の遺跡が残っています。石のお金の価値は、実は大きさで決まるわけではありません。どこで何人の人で作られ、どのように運ばれたのかなど、それぞれの石貨の歴史によって価値が決まるのです。ヤップ島の全ての石のお金について、製作と運搬過程や所有者などの詳しい話が口頭伝承で伝えられています。
 かつて、一攫千金をもくろんだヨーロッパ人が、大型船と近代的な方法でたくさんの大きな石のお金をパラオ島から持ち込んだのですが、価値は決して高いものにはなりませんでした。時間をかけ、危険を冒してまで作ったものだからこそ、価値が上がるのです。
 今でも石のお金には価値が認められ、伝統的な冠婚葬祭や土地の売買などに使用されています。ちなみに、東京の上野公園に、日本のミクロネシア統治時代にヤップ島から持ってこられたストーンマネーが置かれているそうですよ。

September 4, 2008

St. Patrick’s Day

 みなさんSt. Patrick’s Dayというのをご存知ですか。アイルランドで一番盛大に行われるお祭りの日です。聖パトリックとは宣教師で、その昔アイルランドにキリスト教を広めた人物です。敬虔なカトリック教徒の多いアイルランドではとても重要で、彼の命日の3月17日に盛大にお祭りが行われるのです。一番の見所は大規模なパレードにあると言えるでしょう。この日シティセンターは多くの人でごった返します。というか人が多すぎてパンパンです(笑)道を進むのですら大変なのに色んなところが通行止めになり、目的地に着くのもやっとでした。アイルランド人だけでなく、世界各国からこのお祭りのために人々が集まります。そして皆アイルランドのシンボルカラーである緑色のものを身につけます。なので、見渡す限り緑、緑、緑です。緑のTシャツ、ユニークな帽子、フェイスペインティングなど、色々な部位で主張してきます。

 パレードが始まるのが昼過ぎからで、それから3時間、4時間とノンストップでパレードの列が続きます。パレードの列には、有名人や、政府のお偉いさんも参加するらしいです。観覧している人の層が厚すぎて隙間からしか見えなかったのですが、軍隊のパレードや色々な国の民族衣装、そして大きなオブジェクトなど見所満載でした!パレードの後アイリッシュパブに行ったのですが、その盛り上がり様はすごいとしか言いようがありませんでした。この日ばかりはどこへ行っても人でいっぱいでした。

 この留学が終わるまで、後1ヶ月を切りました。。。今は複雑な気持ちでいっぱいです。日本の友達や家族にすごく会いたい反面、アイルランドをたつと二度と会わない人や土地もたくさんあるわけで、今の日常であるアイルランドの生活からいきなり離れるのは正直実感が湧きません。残りの時間、課題も残っているけど、できるだけアイルランドのまだ見ていない土地を回って充実した毎日を過ごしたいです。

August 21, 2008

マーシャル諸島共和国

 ミクロネシアの東端に、ドーナツみたいな形をした29の環礁島と4つの隆起珊瑚島から成るマーシャル諸島共和国が横たわっています。わたしが初めてそれらの珊瑚の島々を空から見たのは、1984年にアメリカのオレゴン大学の発掘調査隊員としてアメリカからハワイ経由で西方のポーンペイ島へ向かった時でした。ハワイを早朝に出発して、いくつかの島々に寄港(航)しながら目的地の調査地ポーンペイ島へ向かう空路です。太陽を背に受けながら西に向かって飛行するため、ずっと明るいままマジュロ環礁の空港を目指す贅沢な旅です。

 上空から、マーシャル諸島のずらりと連なる環礁島が見えます。中央のラグーンのエメラルド・グリーンと、白い環礁と、木々のダーク・グリーンと、外洋のネイビー・ブルーの色彩コントラストの美しさは、言葉では表現できません。その美しさに勝るものはないと言っても、過言ではありません。その美しさに機内は乗客の歓声であふれ、感動の余りわたしは鳥肌が立っていました。
 子供の時に読んだ『宝島』の中で、作家スティーブンソンがマジュロ環礁の美しさを、「太平洋の真珠」と表現していたことを思い出しました。この美しい環礁島は、とても残念ですが皆さんご存じのように現在大きな問題を抱えています。そうです。地球温暖化による海面上昇の影響で、沈んで行く島々の一つになっているのです。海面から高さわずか数メートルしかないリング状の環礁島は、ほんの少しの海面上昇で海岸の浸食などの影響を受けてしまうのです。
 美しいラグーンに沿って海岸を歩いていたとき、まるで人工的に並べられたように等間隔に横たわるヤシの木を見たことがあります。それが海面上昇による浸食の結果だとわかるのに、時間はかかりませんでした。その傍らで、何も知らない子供たちが無邪気に遊んでいました。明るくはしゃいでいる子供たちを見ていると、居たたまれない気持ちになってしまいました。自分のためだけでなく子供たちの未来のためにも、地球に優しい人になれるよう努力中です。 

マーシャル諸島の世界最大の環礁島であるクワジェリンにも寄港しますが、ここはアメリカ軍の基地の島で、残念ながら飛行機から降りることが許可されていません。それどころか、飛行機の窓から写真を撮ることさえ禁止されています。

July 30, 2008

コスラエ島

ポーンペイ島をあとにして、500キロほど東にあるコスラエ島を訪れてみましょう。空から見るコスラエ島は、女性が横たわっているように見える珊瑚のリーフに囲まれた美しい火山島です。そのため、「眠れる 美女」というニックネームを持っています。沿岸地域は見事なマングローブの森に囲まれ、エコツーリズムの一役を担っています。

 敬虔なキリスト教徒の島として知られるコスラエ島では、週末は安息日。海へ出て魚を捕ったり、畑で働いたりすることは自粛されています。店も閉まってしまいます。また、お酒の規制も厳しく、旅行者といえどもホテル以外の店では購入許可書が必要です。以前、週末を利用してコスラエ島を逃げ出し、ポーンペイ島に遊びに来たアメリカ人と遭遇したことがあります。そのときに話していただいた意味が、島を訪れて初めてわかりました。
 ところで、コスラエ島にはレロ遺跡と呼ばれるポーンペイ島のナン・マドール遺跡によく似た巨石建造遺跡があります。ナン・マドールのやや小型版ですが、島の東側のリーフ島の海岸に建造されていて、立地条件や石積みの方法などに似た特徴がたくさんあります。このような巨石建造遺跡は太平洋で、ポーンペイ島とコスラエ島の二ヶ所にしかありません。

 一方、異なる特徴もいくつかあります。たとえば、ナン・マドール遺跡では1000年前から500年ほどの間に外洋に向けて珊瑚のリーフ上に人工島が増築されたのですが、800年前に始まったレロ遺跡では島側に向けて増築が行われました。そのため、現在のナン・マドール遺跡は自然の水路によって区画されているのですが、レロ遺跡は珊瑚が敷き詰められた小道で区画されています。また、首長たちが埋葬されたお墓の形態も異なっています。1800年代に訪れた西欧人の記録により、ナン・マドールはとっくの昔に廃墟と化していたのですが、レロは当時も使用されていたことがわかっています。
 二つの島の関係は、遺跡の構造だけでなく、発掘で採集されている真珠貝製のルアーや貝製首飾りの類似性からも明らかです。もっと詳しいことを知るために、遺跡から出土している遺物の分析と比較研究をしているところです。

May 21, 2008

歴史と文化

 ポーンペイ島の各地に、過去の統治背景からスペイン、ドイツ、日本、アメリカ時代の遺跡がたくさん残されています。州都コロニア周辺には、スペイン時代の砦跡(写真)やドイツ時代のキリスト教会などがあります。
 第一次世界大戦でドイツが敗北し、ドイツの植民地だったミクロネシアの日本委任統治時代が始まり、第二次世界大戦でアメリカに負けるまでのおよそ30年の間、島々の日本化が強化されました。言葉から宗教まで多くの日本文化が持ち込まれたのです。たとえば、日本の小学校が建設されたり、神社が建設されたりしました。「ナミキ通り」や「海岸通り」など今も通りに日本名が残っています。ポーンペイ島の玄関に位置し、港を眼下に望む絶壁のソケースの崖の頂上には、第二次世界大戦時に日本軍が設置したアメリカに対する対岸砲や対空砲やトーチカが点々と見られます。こんな風に、ミクロネシアには、第二次世界大戦の痕跡がたくさん残っています。今は、戦争遺跡として文化財扱いを受け、教育にも活用されています。戦争遺跡を研究する分野は戦跡考古学と呼ばれ、私の研究対象の一つにもなっています。

 日本統治時代の日本語による教育の背景から、今でも多くの年配の人たちは驚くほど流暢な日本語を話します。どういうわけか日本人と血縁関係がないのに、日本名を持った人たちもたくさんいます。マサオさんに、フミオさんに、カズコさんなど。経緯は不明なのですが、名字がキンタロウという人と遭遇したときは、失礼とはいうものの笑いをこらえることができませんでした。
 言葉の中にも日本語がたくさん残っています。現地の人たちの会話に耳を傾けていると、時々日本語の単語が飛び出します。ヒコーキ、ジドウシャ、シャシン、ウンドウカイなどなど。それらが日本語起源と知らなくて話している人たちは、「戦争を知らない子供たち」世代です。
 ミクロネシアの楽しみ方には自然やマリンスポーツなど色々ありますが、人と文化と歴史との触れ合いもお忘れなく。ちょっと得をした気分になれるかも知れませんよ。

April 23, 2008

「鬼」のこと

2007年度、外国語学部の共通教育科目「文学」では、二学期に鬼の伝承文学を取り上げました。日本における「おに」「オニ」「鬼」に関連する伝承は、とても多様であり、重層的です。古代の歴史書『日本書紀』に始まって、中古・中世の文献の中から資料を挙げて解説をしていきました。最初から分かっていたのですが、講義中改めて何度も「本当に鬼を考えることは難しい」と思い、学生さんたちにもそのように話してきました。鬼の伝承文学の最初の講義で、学生さんたちに自分の『鬼のイメージ』を一言ずつ話してもらいました。何人も何十人もの学生さんの回答を板書していくと、次のような姿に収斂(しゅうれん)していきます。
「鬼は大きくて、赤かったり黒かったり、角が生えていて牙がむき出し。人間のような体つきだが人間よりごつい。人を食べてしまう怖い存在。虎の皮のふんどしをしており棍棒を持っている。節分の時に追い払われる。」

確かに、上記のイメージで理解できる鬼の話も多々ありますが、実際に文献を見ていきますと、ここからはみ出すものが続出します。例えば、最後の「節分の時に追い払われる」ですが、2月3日を中心に各地で行われる節分行事を見ても、追い払われるのは学生さんたちがイメージしている「鬼」だけではありません。例えば、六波羅蜜寺(ここには平清盛のお墓もあります)の節分会では、「土蜘蛛」が住職の祈祷の力、住職の撒く福豆によって退散します。

土蜘蛛は妖怪であり、秩序をみだすものであり、人間に悪をなすものです。しかし、日本の歴史の中では、まつろわぬ人間達を「土蜘蛛」と呼んでもいたのです。

うーん、「鬼」というのは一体何者なのか。簡単に見つかる答えはありません。
しかし、答えが簡単に見つからない問題、というのは、往々にしてとても大切な、あるいは根源的な問いであるのです。人が生きていく上でも、簡単に答えが見出せない物事は山ほどあります。でも、だからといって放り出さないでくださいね。

March 28, 2008

ミクロネシア最大の巨石建造遺跡

 赤道に近いポーンペイ島南東部の海岸に、1500年前から1000年ほどかけて建設されたナン・マドール遺跡と呼ばれるミクロネシア最大の巨石建造遺跡があります。海岸の1.5×0.5 キロの範囲に、1〜2メートルの高さにサンゴを積み上げた大小さまざまな95の方形の人工島で形成されています。満潮時には人工島の間が水路になり、「海上都市」や「海の要塞」などと呼ばれてきました。現在、ミクロネシア連邦政府はユネスコの世界文化遺産の登録に向けて活動中です。人工島の上に、儀式や儀礼のための建物や首長の家や墓などが柱状や巨岩の玄武岩で造られており、それぞれの人工島の名前や機能や用途に関する口頭伝承が伝えられています。ある人工島では、50トン以上もあるような巨岩が10メートルの高さに積み上げられています。また、歴代の首長のお墓があるナンタワスと呼ばれる人工島には、推算ですが5万5千本もの柱状の玄武岩が使われています。どのように築かれたのかは、今も謎です。現地の人たちに聞いてみると、「むかし、呪術師が山からマジックで石を飛ばして積み上げたんだよ」と、真顔で答えてくれます。冗談半分で、宇宙人の仕業だと言いたくなってしまうほどで、非科学的な話しですが「謎のムー大陸」にもしばしば登場します。

 アメリカのオレゴン大学の大学院生だった頃に、初めてこの遺跡の調査に参加しました。そのとき発した第一声は、「何じゃ、こりゃ。」両側に積み上げられた石積みの遺跡の合間をボートで通り抜けたとき、あまりのすごさに隊員たちは鳥肌状態になっていました。まさか、この遺跡の研究が将来ライフワークになるとは思いもよりませんでしたが、今年でなんと23年目。

 先史時代のどんな社会や文化がこんな巨大遺跡を残したのか、不思議でなりませんでした。これを解明することが、今のわたしの考古学研究の主要目的になっています。2年前に実施した発掘調査は、日本人中心の発掘として75年ぶりとなりました。そのときに採集した大量の出土品の分析と研究に、今も夢中になっています。少しでもその成果が、現地の人たちや研究者たちの理解に役立ち、世界文化遺産の登録に貢献できればと願っています。

January 26, 2008

ポーンペイ島part2

 ポーンペイ島には、以前ご紹介したカヴァ酒と並んでビートルナッツという椰榔(びんろう)の木の実を噛む習慣があります。州都コロニアを中心に若者たちの間に広がっていて、タバコと同じように嗜好品として利用されています。
 東南アジアが原産で、台湾やフィリピンなどの東南アジア島嶼地域に近いグアムやヤップやパラオなどの島々では、古くから盛んに利用されてきました。台湾の町を歩いていると、漢字で「椰榔」と書かれた看板をあちらこちらで見かけます。
 ミクロネシアでは、堅い椰榔の実を歯で半分に割り、ライムをふりかけキンマと呼ばれる植物の葉に包んで噛みます。なんと、タバコを半分ほぐして一緒に噛む人もいます。

店に寄ってみると、カウンターにばら売りされている実やたばこが並べられています。また、ときどきヤシの葉で編んだバスケットをぶら下げている人を見かけることがあります。その中にビートルナッツのキットを忍ばせているのです。清涼感が味わえると言いますが、その渋さは渋柿の比ではありません。噛んでいるうちに、実の色と唾で口の中は真っ赤。血のように染まった赤い唾を吐きながら噛み続けるので、道路や壁などにその痕跡が残されています。

 グアムに初めて行ったとき、真っ赤に染まった歯の不気味な笑顔のごあいさつに、笑顔のお返えしができなかったことを思い出します。長年噛み続けている現地の人たちの歯は、磨り減って黒くなっています。グアムの先史時代のお墓から発掘された人骨の歯にも、その特徴が見られます。
 ポーンペイ島では、多くのタクシー・ドライバーたちがビートルナッツを噛みながら運転しています。ドアを開けて道路に唾を吐きながら高速運転するので、目的地に着くまでハラハラものです。その上、乗り合いタクシーなので、複数の同乗者が窓から真っ赤な唾を吐きながらの走行。雨の日は、運が悪かったとあきらめて下さい。閉め切った密室で空き缶が回され、そこに唾を吐き貯めていくので、その臭いにどれくらい我慢できるかが勝負のしどころ。「ところ変われば品変わる」と言うことでしょうね。

January 24, 2008

チリの独立記念日

 チリで大事な三大イベントの内の一つが、9月18日の独立記念日、Dieciocho(ディエシオチョ)です。クリスマス、新年と並んで、チリ人にとってとても重要な日です。
 9月頃から、玉ねぎ、牛肉の値段が上がっていきます。何故かというと、その独立記念日週間にEmpanada(エンパナーダ、具沢山なミートパイのようなもの)、Asado(バーベキュー)、Anticucho(肉の串焼き)などが食べられるため、チリの人々は皆玉ねぎや肉を大量に買い込むからです。バーベキューのための炭、チリの国旗のエプロン、食卓グッズ、その週間に大事なチリの伝統的踊りのCueca(クエカ)のための衣装なども店頭にたくさん並び、人々は本当に浮かれているように見えました。でも、独立記念という日を、仕事や店も休み、国レベルで盛大にお祝いするというのは、私は素敵なことだと思いました。ちなみに多くの人が5連休だったようです。

 この前後5日間でチリ人が消費する肉の量は数トン単位だそうです。そしてこのお休みは、とても家族的なもの。私のホームステイ先の家族は海でゆっくり過ごし、そして私は、18日はサンティアゴで友達とその家族と過ごしました。サンティアゴのDieciochoがどのようなものか見たかったので、海にも行かず、他の留学生仲間のように他国に旅行になども行きはしませんでした。

 有名なのはオヒギンズ公園を代表とするFondaと呼ばれる屋台がたくさん並ぶ会場。そこでは、日本の縁日のように食べ物、アルコールを売る屋台、ゲームをする屋台(輪投げなどで商品がもらえる)、アトラクションなどがあります。5日間、チリ人は肉、Empanada、お酒(Chichaというワインのもっと甘いような飲み物がこの日に特別に飲まれるもの)を食べ飲み続け、平均で3キロから5キロほど太るそうです。
 何はともあれ、本当に皆楽しそうなこの週間。来年に早速戻って来たいなと密かに願望を持っています。

January 18, 2008

マルタ共和国にとっての“Japan”

 マルタ大学の寮にはスペイン人、イタリア人、ドイツ人、アイルランド人、フランス人など、様々な人種が集まっている。それぞれが愛国心をもち、自分の国を何よりも誇らしく大切に想い、それと同じくらい相手側の国の文化を大切にしようとしてくれる人が多い。日本人は寮に四人しかいないため皆の好奇心をそそるのか、寮生活を過ごすなかで、日本について突然思いがけない質問が飛んでくることがある。初対面のフランスから来た留学生と話していたときだ。「私、日本人だよ」というと
「日本!!!」
と突然彼は興奮し始めた。「日本好きなの?^^」と聞くと「好きなんてものじゃない、惚れ込んでいる」と返ってきた。行ったことはあるのかと聞くと、見事に一度もないそうだ。ならば何故好きなのか?
私が不思議そうな顔をしていると、彼がうっとりした顔で聞いてきた。

「“せいれいのもりびと”って知ってるだろ?」
  
……なんだそれは?
私は首を振った。

私「何、それ?」
彼「ええっ、せいれいのもりびとを知らないの!? 僕、フランスでずっと見てたよ。マルタにも持ってきてるよ、見せようか?!」
私、「あ、もしかしてアニメのこと?」
彼「勿論そうだよ! クレヨンしんちゃんとか、ドラゴンボールとか。僕は子供のときからずっと日本のアニメ見て育ったよ。で、せいれいのもりびとが一番好きなんだ。日本は本当にいいよ。あのコトバ、あのカルチャー、あの独特の雰囲気……。日本へ行くことは、僕の夢の一つなんだ」

 彼の陶酔気味の語りに押されながらも、私はマルタまできて、ここまで日本を好いてくれる人がいることを素直に嬉しいと感じた。彼だけに留まらず、日本のアニメが大好きだ、日本へ行ってみたいという学生は寮内に数多く存在する。先週、マルタの学生を対象に日本と関西外大をテーマにしたプレゼンテーションを行ったが、意外にも日本への派遣を希望する学生が多かった。そして彼らは口々に「日本のアニメが大好きだ」と口にするのだ。私よりもよっぽど詳しい。なると、ワンピースなどはかろうじて分かるとして、聞いたこともないようなアニメの名前をポンポン出してきてくれる。漫画にしてもそうだ。建物や食文化はその国に行かないと味わえないが、映像は国境を越えて、Youtubeなどを通して世界に広がっていく。マルタに来た当初は日本と中国の違いが分からない、マレーシアって何??というアジアの認識の薄さに「日本も中国も韓国も、ここでは全部まとめて“アジア”になっちゃうのか…!」と驚かされたが、アニメや漫画・電化製品・車などによって日本はかなり好印象を持たれていることも事実だ。あるマルタの学生が何を考えたのか、忍術をマルタで習っていたらしい。私は明らかにリスニングを間違えたのだと思って「え、忍術? 柔道の間違いでしょ?」と聞き返すと、「いや、忍術だよ。忍法忍法。日本語も習いたかったんだけど、高いんだよなーこれがまた」。――返す言葉もなかった。マルタ共和国で忍術を習っている若者がいることなど、日本にいたら全く想像もできなかったに違いない…。

 「日本の歴史について、私たちは学校で何も学ばなかった」
とオーストリアから来た女友達が話してきてくれたことがある。スペインでも、ドイツでもそうらしい。「自分の国の歴史のことはしこたま教えられたけど、日本の歴史、アジアの歴史は軽く触ったぐらいで全然知らない。自分で調べたら日本にはものすごく濃い歴史があるのに、全く教えられなかったのが不思議だ」と言う。日本では世界史を通して様々な国の歴史(ヨーロッパを含め)を学んだように思うが、彼女達にとって日本の歴史=原爆のイメージしかないらしい。ヒロシマ、ナガサキの名前はトウキョウ、キョウト、と同じくらいマルタ共和国において広く知れ渡っている。
 私が小さい頃にもっと自分の国を誇りに思えるような歴史を教えられていたら、彼らと同じくらいの愛国心を持って日本を誇れたのかもしれない。しかし私にはよく分からない。もしかしたら私よりも彼らのほうが日本をよく知り、理解し、興味を持っているのではないだろうかと思うときがある。
五年間のマレーシア滞在を経て日本に帰国したとき、私は何人かの友人に「日本のことが好きか?」と聞いたことがある。大抵は「分からない」という返事。おそらく好きか嫌いか、比べる対象がないためだろう。外大にいるせいもあるかもしれないが、むしろ日本から出て海外へ行きたいという漠然とした憧れを持っている子のほうが、圧倒的に多かった。それは大抵、「日本の文化を世界に知ってもらいたい」という愛国心からではなく、ただ単に「日本から出たい、海外経験をしてみたい」という変身願望にも似た自分の欲求を叶えるためだ。
 マルタにきて、4、5人の現地の人に同じ質問をしてみたことがある。「マルタのことは好きか?」。
彼らは穏やかな笑みで、大抵こう返してくれる。

「小さい国だけど、好きだよ」
  
 国民に好かれる国とは何なのか、考えさせられる笑顔だった。

December 10, 2007

大自然を満喫!

日本では秋から冬に向けて紅葉した木々もすっかり枯れてしまっているのでしょうか。私が留学中のケンタッキーも日本と同じように四季があり、秋の森、紅葉を楽しんできました。しかしここでの楽しみ方は日本でのお茶でも飲みながらゆったり眺める・・といった楽しみ方とは一味も二味も違います。まずはハイキング(もはや山登り。。)が基本で、いくつかある“trail:道”の中から自分たちのレベルにあった長さ・ハードさの道を選びます。“道”と言っても道と言う道はなく、木に記された矢印をたどって森のなかを散策するというスタイルです。ある日はちょうどトルネードが起こった後で、道なき道を大木が遮ること度々。でも昔から自然と戯れることが大好きな私にとっては、道なき道を探しながら巨大な大木を乗り越えることも楽しみを倍増させてくれました。

ここケンタッキーには自然が溢れていて大きい森がいくつもあります。今回は私が住むルイビルから東へ2時間ほど車を走らせたところにあるKentucky State Park(ケンタッキー州立公園)に行ってきました。ここで一番の目玉は“natural bridge”です。これは、とてつもなく大きな岩が長い年月をかけて雨、風に削られbridge:橋のような形を作り上げたことからこの名前がつけられたようです。

そのnatural bridgeへ向かうためのtrailもまたいくつかあり、私たちは0.75マイル(約1.2km)のコースを行くことにしました。真っ赤や黄色に紅葉した木々、立派な苔をつけてたたずむ大きな岩、熱帯のジャングルにいるかと思わせるような深緑の葉をつけた木々、どう考えても幹の太さ(直径2cm程度)とのバランスがとれていない巨大な葉(顔面2つ分くらい!!)をつけた木、岩の隙間からたくましく生えている草・・等々、森の自然を楽しみながら1時間ほどかけてnatural bridgeへと向かいました。
1時間後、森の大自然に圧倒されていた私の前に、想像をはるかに超える巨大な岩の橋がそびえ立っていました。高さ20m横幅50m以上、その姿はすごい迫力で、しばらく言葉を失ってしまいました。ふもとから橋をしばらく眺めた後、いざ橋の上に登っていきました。この橋は山の頂上に立っているので、色とりどりに紅葉した周囲の山々、ずっと遠くまで続く森をぐるっと見渡すことができます。その景色はまさに絶景で、またしても言葉を失い、ただ、ため息だけをついていました。自然の美しさ、たくましさを体中で感じることができ、大自然の偉大さを再認識しました。また、こんな大自然が身近に溢れているこの地をまた好きになりました。

December 7, 2007

イースター島について

今回は、世界の七不思議とも言われるモアイ像で有名なイースター島についてお話します。
皆さん、イースター島は、どこの国か知っていますか? 答えは南米のチリです。
チリ本土から、飛行機で5時間半程かかる、太平洋に浮かぶ島です。面積は、小豆島より少し大きいくらいで、人口は3,800人です。地理的な事から民族、文化、習慣など、タヒチ等のポリネシアンの影響をかなり受けております。人が住んでいる世界で一番離れた島とも言われています。

イースター島は、海中火山の噴火でできた島で、4世紀頃ポリネシアから人が移り住んだと言われ、その後1888年にチリ領となりました。モアイ像は、10世紀頃から造られ、島のあちこちに点在しています。その数は、800とも1000とも言われ、今ではユネスコ世界遺産に登録されています。

私も、10年前くらいに行った事がありますが、日本人観光客がたくさんいたのを覚えています。とても、不思議だったのは、あちこちに、倒れたモアイ像があり、島の人に聞くと、17‐18世紀に起こった部族戦争で倒されたモアイ像だとか・・・。他にも原因不明の作りかけのモアイ、運ぶ途中のモアイもありました。帽子をかぶっていたり、目があったり、表情もさまざまでした。

なんと、来年1月14日まで、大阪のエキスポランドで、イースター島からやってきた本物のモアイ像(高さ3m、重さ6トン)が特別公開されていますので、是非見に行ってみてください。エキスポランドにモアイ像がお目見えするのは、25年ぶりだそうです。

December 3, 2007

スペイン留学!

こんにちは。短大2回生の田中沙知です。私は交換留学生としてスペインに到着したばかりで、いろいろ忙しくて大変ですが、何とか頑張っています!なので、これからはスペインの事について書いていきたいと思っています。まず、私は首都マドリードで勉強しています。最初にびっくりしたのが、日があがるのは遅く、沈むものもまた遅いことです!私は朝の7時についたのですが、外は真っ暗!だんだんと明るくなり始め、日が沈むもの今の季節は、だいたい夜の9時半くらいです。天気はとてもよく、常にはれています。雲もほっとんどありません!!朝はカーディガンがいるくらいですが、昼はとても日差しが強く暑いです!!スペインはピカソやガウディなど芸術の国でもあり、マドリードの中心は中世を感じさせる建物や、みなさんが思い描いてるヨーロッパの風景がたくさんあります。

スペイン人は親切な人が多く、私のホストマザーも、街の人も私の下手なスペイン語を理解してくれようとしているのが分かるし、話が終わるのを最後まで待ってくれます。日本人は思ったよりいてなくて(観光地には多いと思うけど)私はこの一週間日本人をみていません。大学にも日本人は私一人です。私はスペイン語初心者なので、どこにいても何をするにも単語などを調べないといけないし英語かスペイン語の毎日なので夜にはかなり疲れています。特に今はスペインに来てまだ間もないので。。。
でもせっかくスペインにきたんだし、出来ることと全てして、これから約9ヶ月頑張って行きたいと思っています☆

November 20, 2007

携帯電話

 携帯電話なんて今の大学生にとっては物心ついた時から身の周りにある当たり前の存在でしょうか。今の二十歳前後の人々は携帯電話のネイティブ世代と言えるかもしれませんね。それに対して、私は30歳を過ぎてから携帯電話に触れたノンネイティブ世代です。ある言語のノンネイティブスピーカーの話し方がどこかぎこちないのと同様、私も携帯電話をスムーズに使いこなせないでいます。正直言ってみんなが持たなくなった方が住み良い世の中になるのにとさえ思うことがあります。
 携帯電話を初めて持ったのは37歳の時でした。買った当初はなんだか嬉しくて色々な人に電話番号を教えました。でもしばらくするとそれが大変なことになるのだと気付きました。電話はこちらの都合に関係なく、突然私の生活に割り込んできます。電車の中でも、食事中でも、大事な話の最中でも容赦はありません。私の学生を見ていると、そのような突然の割り込みの電話も実にスムーズに処理しているように見えるのですが、私は突然の電話に慌てふためいてしまいます。やはり電話をかけたり受けたりするのは自分の部屋でリラックスしている状態で行いたいと思ってしまうのです。
 そこで、私は電話を受ける心の用意ができていない時は、電話に出ないことにしました。でも、これがその後の人間関係に様々な悪影響を及ぼすこととなってしまいました。後に言われたのですが、携帯電話には着信履歴が記録されるので、電話に出られなかった時は、後でかけなおすのが携帯文化における礼儀だというのです。その当時は携帯電話に着信履歴が残るようになっていることすら知らなくて、「携帯文化」という私にとっての異文化もよく理解できていませんでした。いつしか私は「失礼な人」とか「素っ気無い人」というレッテルを貼られてしまいました。そしてそれが煩わしくなり携帯電話を持つのをやめました。今は再び携帯電話を持っていますが、ごく親密な人々との通信にのみに使っています。

November 9, 2007

The cultural mix

The line from a Rudyard Kipling poem,” East is East and West is West and never the twain shall meet,” is often quoted when people think there can never be a bridge between cultures. The truth is however, that cultures are meeting and mixing all the time. I’d like to tell you about two of my intercultural experiences in Japan which relate to learning a foreign language and playing music.

When I first came to Japan, I was captivated by the sound of the instrument called the koto. I knew I wanted to learn how to play it, but my Japanese language skills were just in their infancy. After I finally found a teacher and began studying, I realized that although the language was important, my teacher could communicate so much just by playing and watching me practice. I wanted to know more and more about the music, the history behind it and the players. This made me study Japanese harder. I was motivated to use Japanese every time I went to a lesson. By learning the language, I could really understand and participate in a Japanese tradition.

The other example of intercultural exchange I encountered in Japan was in Oita Prefecture. I joined a group of Japanese musicians who were really into playing ‘bluegrass’ music. This musical genre developed about 60 years ago in the U.S. It is a kind of country or folk music. Usually all the instruments are stringed instruments; banjo, guitar, mandolin, violin and bass. Here were Japanese musicians very passionate about learning and playing bluegrass music. All the songs were in English! They knew so much about the music and the musicians connected to bluegrass.

I learned that some of the earliest broadcasts of bluegrass and country music in Japan were on Armed Services radio during the 1950’s and 60’s. Eventually, many college-aged kids got excited about this music, learned the songs and style from listening to records and the radio and started lots of bands. Another tradition similar to the U.S. which then became popular in Japan was to hold bluegrass festivals. Bands and players, both amateur and professional gather from various parts of Japan. They camp out and play music together. There is usually a stage where performers can play for the audience for 10 or 15 minutes each. It’s a real celebration of a part of American culture. There are still bluegrass ‘circles’ at several universities today.

When people are passionate about something, they find a way to pursue their interest and enjoyment of it. For many people, ‘East’ and ‘West’ are only two sides of the same coin.

October 1, 2007

ポーンペイ島

 最新ニュースをお届けしましょう。遺跡調査の目的で、8月に2週間ほどグアム島とミクロネシア連邦のポーンペイ島に行った時のことです。今回は、グアム島での危険と背中合わせの調査体験についてお話しします。
 私にとって、グアム島はミクロネシアの考古学調査の中継点になっています。毎年、調査の前後にはグアム島に立ち寄ることにしています。歴史保存局で情報交換をしたり、グアム大学のミクロネシア研究所で調査に関する資料を収集したりするためです。グアム島での滞在は、オレゴン大学大学院以来の親友で、現在グアム大学で研究されているリッチ・オルモ教授宅に決めています。
 ランチと大量の飲料水を車に積み込み、リッチの案内でグアム島北部にある米軍のアンダーソン空軍基地内の遺跡の見学に行きました。ゲート横の事務所で基地に入る許可を頂き、実弾演習の予定を確認の上基地の中へ。
 広大な空軍基地は隆起珊瑚台地上に築かれており、海岸は百数十メートル崖下にあります。遺跡は海岸線の砂浜を前にした森の中や、崖の中腹の洞窟の中にあります。崖の上から見る遺跡周辺の景色は感動モノですが、一部の階段やトレイルを除き、猛暑の中を珊瑚がむき出しになったような崖を注意深く下りなくてはならないのです。

高いところが苦手な私にとって、これほどの恐怖はありません。もし足を踏み外したら・・・・なんて、ネガティブな思いをよぎらせ、はらはらしながら下りていきました。森の中には、保存状態の良い先史時代の井戸や建物跡が残っていました。基地には一般の人は許可なしで入ることができないので、破壊されないで守られてきたのでしょう。汗だくの体に攻撃を仕掛けてくる無数の蚊を払いのけながら、リッチの興味深い遺跡の説明に、興奮を隠すことができませんでした。

 次に向かった洞窟遺跡へは、上がり下がりの凸凹の珊瑚の岩場をただただ怪我のないことを祈りながらゆっくり進むしかありません。陰を見つけては休憩。崖の中腹の凹みで、眼下のエメラルドグリーンからネイビーブルーに少しずつ変化する美しい海を見下ろしながら食べたランチを忘れることができません。遺跡ツアーに5時間ほど費やしたでしょうか。私の足には、大小様々な擦り傷や切り傷が残っていました。疲れ切った同世代のリッチと顔を見合わせて、思わず二人で吹き出してしまいました。「10年若かったらなあ」とでも言いたかったのでしょうか。

September 21, 2007

ポーンペイ島の不思議な飲み物

ポーンペイ島には、カヴァ酒と呼ばれる不思議な飲み物があります。ハワイやタヒチのあるポリネシアを中心に飲まれてきた伝統的な飲み物です。かつてはミクロネシアでは東方のコスラエ島でも飲まれていましたが、キリスト教の布教と共に禁止され、現在はポーンペイ島だけで飲まれています。
 カヴァ酒は冠婚葬祭などありとあらゆる儀式儀礼に不可欠で、それ無しには文化が成立しません。たとえば、収穫祭や首長たちが出席する会合では必ず飲まれます。今では、個人の家で家族や友人同士で飲まれ、町のところどころにカヴァ・バーで飲むこともできます。
 カヴァ酒はコショウ科の木の根を玄武岩の石で叩きつぶし、ハイビスカスの樹皮に包んでヤシ殻のカップに絞り出し、回し?みをします。見た目は粘った泥水で、舌触りは納豆のようにヌルヌル、味はメンソール風です。少しですが叩きつぶした根が口に入るので、ペッペとつばを吐き出しながら飲みます。飲むと胃袋をつかまれたような強い刺激を受けます。実のところ、私は一度もおいしいと感じたことはありません。

 カヴァ酒とはいうものの、アルコール分は含まれていません。それどころか、鎮静作用の成分が飲めば飲むほど体をだるくし、口をしびれさせ、飲み会を静かな雰囲気にするなんとも奇妙な飲み物なのです。ヨーロッパなどでは、太平洋の島々から輸入したカヴァの成分を薬品に利用しています。
 私が調査に島を訪れた時は、歓迎のカヴァ酒が振る舞われることがあります。伝統首長から遺跡の発掘調査の許可を得るため、豚一頭の丸焼きとカヴァ6束と米30キロを献上して儀式に出席したことがあります。許可を受けコミュニティの一員として認めてもらうために、避けることのできない通過儀礼なのです。「郷に入っては郷に従え」と言ったところです。

July 19, 2007

ドイツのバーベキュー

春はほんとうにドイツの人にとって待ち遠しいものだということを、こちらに来てつくづく思います。
まず、その春になると急に変化するのは日の長さですね。日の入り時間の変化は驚くばかりです。さらにはサマータイムも加算されるのだから、その変化は著しいものです。やはり人間1日の時間が長くなると雰囲気も明るくなるのでしょうか、ここイエナの人たちの生活も活発になっているよう感じますね。

その変化の一端に気温の上昇も関係しているのでしょう。カフェテリアのテラスで会話を楽しんたり、公園のベンチで読書をしたり、ウォーキングやジョギングを楽しんでいる人、草むらに寝転んで日光浴をする人が増えてきます。日本で春になってそこまで町の変化を見たことがなかったので、少し興味深いものでした。冬の1日が短い分、春や夏で取り返そうとしているのかもしれません。

日本では春といえば花見。今年それをできないのは少々悲しいですが、ここドイツでは花見の代わりといいますか、バーベキュー(以下BBQ)をする集まりが多いようで。公園のところどころでワイワイ騒いでますし、どこのスーパーでもBBQセットを売り出しています。公園を散策しているとその匂いにどうしても反応してしまいますね。
ちょうどそんな時に、私の寮でもバーベキューをしよう、という企画がありまして。もちろん参加したのですが、すこし日本のものとは異なるようです。日本人としてはバーベキューといえば、お肉がメインとし、キノコ類、茄子・トウモロコシなどの野菜を焼いてタレを付けて頂く、と考えていたのですが、広場にでて網の上を見てみると、豚肉、ソーセージ、その他肉オンリー。周りを見てもみなさま持参したのはお肉だけのようで。私たちが椎茸を焼いてみた時には驚きの声が上がってしまいましたよ。それで、ドイツではBBQのときはお肉以外にも焼かないのか、と聞いてみると、ジャガイモを焼くときはまれにあるけど、BBQといえばやっぱりお肉とビール。と言われてしまいました。同じBBQでもこうも違うというのは面白かったですが、やはり日本人としてはお肉だけを食べていると少し胃がもたれてしまいますね。

一枚目:エアフルト。春祭り
二枚目:イエナ 川遊び
三枚目:公園 日光浴

July 12, 2007

Semana Santa

 今年、アルゼンチンではSemana Santa(イースター)の時期、2日学校を休めば10日程の連休になったので、私は友達とパタゴニア(アルゼンチン南部)を旅行しました。そしてこの旅行を通して大きな文化の違いを感じました。
 初めのプランでは首都ブエノスアイレスから飛行機でパタゴニアへ行く予定でしたが、空港に向かおうとしていたところにフライトがキャンセルされたとの電話。そして、代わりのフライトもしばらく出ないとのこと…。旅行会社には私たちが住んでいるコルドバ(ブエノスアイレスからバスで10時間の所)へ帰ってくるようにと言われました。しかし、納得出来ない私たちは、飛行機で3時間ぐらいの所を、バスを使い、40時間かけて目的地へ。El Calafateで氷山を見たり、Ushuaiaでオタリアやペンギンを見たりして、とても楽しかったです。

 ただ、どこで文化の違いを感じたのかというと、フライトがキャンセルされた理由です。
 最初、フライトはテクニカル・プロブレムでキャンセルになったと聞きました。しかし、本当のキャンセルの理由は、政治家たちがフォークランド戦争25周年のセレモニーをUshuaiaで行う為に、旅行者のフライトをキャンセルして、飛行機を使ったからだと後でホストに聞きました。そして、私たちが使う予定だった飛行機会社は政府が所有しているので、大統領が飛行機を使うためなら、フライトは簡単にキャンセルされるとのことでした。しかし、大統領なら予定がしっかり管理されているだろうから、前もってフライトを調節出来たのではないのかと聞いたら、それは日本だからだよと言われました。アルゼンチンの人が気ままなのは知ってましたが、ここまでだとは思っていませんでした。今回の旅行はアルゼンチンを知る良い勉強になりました。

July 9, 2007

韓国料理

アンニョ〜ン*
初日、不安で食べ物がのどを通らなかった事が嘘のように、今では皆から「good eater!」と言われる食いっぷりを発揮しています。それも、「韓国料理の美味しさに目覚めてしまったんだから仕方がない!」ということで、今回は、わたしがどっぷりハマってしまった韓国料理の魅力について、アツく語ります♪
韓国料理の美味しさは、「五味五色」の考えが基礎にあり、酸味・苦味・甘味・辛味・塩味に青赤黄白黒の色をバランスよく配することで、数種の調味料とさまざまな具材の調和した重厚な味が生まれます。目にも豪華な宮廷料理はその究極ですね。一般の飲食店に行ってもその精神は見られます。外国人がまずびっくりするのが料理を注文してすぐ、頼んでもないのに次から次へとやってくるおかず(パンチャン)の数々。どんな店でも必ず2〜4種類のパンチャンが無料で出てき、しかもステキなことにおかわりし放題なんです。キムチやナムルは定番で、トッポッキやチヂミ、サラダ、煮込み魚や玉子焼きなどが出てくることもあるしバラエティーは豊富。オムライス屋でも、ピクルスとキムチがばっちりついてきました(笑)。韓国の人はそれらを箸休めに食べたり、チゲなどのメインの品にお好みで混ぜ合わせたりと楽しみ方は自在で、お箸とスプーンは常に慌しく動きます。地方に行くとパンチャンの数は倍になることが多く、中には単品を頼んだだけで20皿ものおかずが出てくるお店もあるようで、地方から来た人がソウルの皿数の少なさに「都会は冷たいなあ・・」と嘆くのだとか。

さて、では一回の食事で大体オルマ?(いくら)かというと500円前で十分!大衆食堂であれば300円(ex.ピビンバやキムチチゲ+αのおかず)でおなかいっぱい食べられます。寮には自炊できる設備がないので外食も出前もほんと安くて助かっています。満腹になって二人でお会計500円のところや、焼肉300円(!)のお店などなど、韓国の食のサービス精神にはつくづく脱帽してしまいます。
美味しくて、安くて、ボリューム満点で、(それから来るのもやたら早い)韓国料理。わたしの密かな願いは、釜山や全州などをまわり地方グルメを探求することです。帰国して「あんた臭うで!」と言われやしないかと少し気懸かりではありますが・・。まだまだ語りたいことがたくさんあるので、次回も食いしん坊リポートをしたいと思います♪

画像上;ソウル市外の水原でカルビを頼んだところ・・・
画像下;近所にある学生御用達の大衆食堂にて。おかずは行く度違う。約380円

June 22, 2007

砂漠の話

皆さんはエジプトと聞くと「ピラミッド!」というイメージが強いでしょう。僕も来て最初の週にギザの3大ピラミッドに行ってきました。
しかし、ピラミッドや古代エジプトの遺跡以外にも素晴らしい観光地がエジプトにあるのです!それは…「砂漠」です!!

一回目に行った砂漠は黒と白砂漠。その名の通り、黒砂漠は地面が黒い石ころで覆われており、白砂漠は石灰岩のおもしろい奇石だらけでした。砂漠に行くと砂漠でキャンプし、生活するのですが、所々にオアシスはあるものの、もちろん水は限られているのでシャワーを浴びることはできません。なので、3日後帰る日にはやたらとハエにたかられました…。でも、砂漠のプロであるドライバーが作ってくれた鶏肉の丸焼きや、夜空に輝く何十もの流れ星を体験すれば砂漠にはまること間違いなしです。

その次に行った砂漠は誰もが想像するような生命を感じさせない、さらさらの砂の砂漠で、その砂漠で見た夕日は映画のワンシーンのようにきれいでした。しかし死の世界でもいくつも小さな湖や鉱泉の周りに育つ植物を見つけることができ、生命の力強さと感じることができました。しかも、嬉しいことにキャンプ場の近くに鉱泉があったので、数ヶ月ぶりにゆっくりと満天の星空の下、お湯につかることができ、心身共にリラックスできました。あまりにうれしかったので、2回も入ってしまいました(連れの一人は夜中に3回目入ったらしいです)。

普通のツアーとかで来た場合ではなかなか訪れる機会のないエジプトの砂漠ですが、機会があれば是非立ち寄ってみて下さい。陽気なドライバー達とおいしい食事、流れ星、そして本当の静寂とくつろぎに時間が待ってますよ。

写真1;白砂漠とジープ
写真2;黒砂漠(生憎の雨模様!?)
写真3;さらさら砂漠での夕日

June 14, 2007

My Sweet Life: An Intercultural Experience through Chocolate

 As a member of the IES faculty, I have a unique opportunity to not only teach English language and literature, but also to learn a lot about Japanese culture from my students.
 Packages of Koala’s March, Meiji and Kit-Kat, all chocolates marketed in Japan, were scattered on my desk and one of my students enthusiastically explained how these chocolates reflected elements of Japanese culture and also events of her life. I listened quietly as she showed me a special, brightly colored Koala Marche package marketed for good luck on exams; a strawberry-pink Kit Kat bar to mark the changing seasons; and individually brightly colored packages of Meiji chocolates in distinctly Japanese flavors ranging from soymilk to green tea. These chocolates not only tasted delicious, but they also helped me to gain insight into Japanese culture.

 While we were talking, I started to think about a chocolate that I could introduce to Japanese students, so they could understand more about not only American culture, but also my life and the result is this brief presentation of a confection called a “buckeye”. My home state of Ohio is known as the Buckeye State and like its namesake, this candy is made to resemble a nut from the famous Buckeye tree and it is often eaten around the holidays. As I child, I remember looking forward to celebrating Christmas with my extended family because I could see my cousins, exchange presents, and eat a delicious meal. Every year, my aunt made these buckeye treats by shaping peanut butter fudge into small balls and then dipping the bottoms of them into deep brown milk chocolate. This sweet taste always reminds me of happy days spent with my family.

 These days, my two-year-old daughter is growing up in Japan. I hope she’ll be able to enjoy both Japanese and American chocolates and have fond memories of both. In your sweet life here at Kansai Gaidai, don’t miss an opportunity to talk with people from other cultures and while you’re doing so, take the time to share your favorite chocolates and childhood memories!

June 1, 2007

五月五日は何の日?

 カレンダーで見ますと、五月五日は「こどもの日」です。古くは端午の節句と呼ぶこの日、この季節のつき物が、鯉のぼり・鎧兜・武者人形・粽(ちまき)に柏餅などなど。(写真:紙粘土で鯉のぼりを作ってみました。)私の実家では、五月五日には蓬(よもぎ)と菖蒲(しょうぶ)を束ねたものを屋根の上に投げ上げ、お風呂にも入れていました。この年中行事の由来を語る昔話があります。それは「食わず女房」です。

 昔むかしある所に、とてもけちな男がおりました。嫁さんは欲しいけれど、嫁さんに食べさせると米が減る。「物を食わない女房が欲しいもんだ」と常々言っておりました。でも物を食べない女などいるわけがありません。ところがある日、一人の女がこのけちな男の家にやってきて、「嫁にしてくれ」と言うのです。男は大喜びで嫁にしました。女はくるくるとよく働き、ご飯時になっても何も食べません。「これで俺の蔵は米がぎっしり残る」と悦に入っていたのですが、ある日米蔵に入ってみると……あるはずの米がありません。「さてはあの嫁が横流ししたな」。男は気づかぬふりをして嫁さんを見張ることにしました。

 さて、遠くへ出かけると見せかけてこっそり隠れて見ていると、嫁さんは米俵を担いできてぎっしぎっし。全部とぐと大きな釜で炊き始めます。炊き上がるとお握りを幾つも幾つもこさえていきます。そして干し魚を何匹も焼き始めました。「さては俺以外のやつらに食わせるつもりか」と男が腹を立てて見ておりますと、嫁さんは結んだ髪を解きました。なんと、嫁さんの頭の中には大きな口があったのです。嫁さんはおもむろに握り飯と魚を持つと、その口の中にポイポイポイポイ放り込んでみんな食べてしまいました。食べ終わると、髪を結いなおし、何食わぬ顔でせっせと働き始めました。そう、嫁さんは鬼婆だったのです。

 嫁さんの正体を知った男は、外から帰ったふりをして中に入ると、「悪いが里に帰ってくれ」と離縁を切り出しました。「見たなぁ、今まで待っていたが、今度こそお前を食ってやる」と嫁さんは鬼婆の姿に戻って男を引っつかむと風呂桶に放り込み、それを頭の上に載せると風のように山へと駆け出しました。男は生きた心地がしません。どれほど走ったでしょうか、さすがの鬼婆もくたびれて、大きな木の下でひと休みしました。何とか助かりたい、と男が桶の中から見ますと、桶の上に大きな木の枝が張り出していました。男は必死でその枝に飛びついて逃げ出しました。

 それと知らぬ鬼婆は、「ひと休みしたら荷物が軽うなった」とまた走り出しました。山の住処に着いて桶の中を見ますと、食べ物がおりません。怒り狂った鬼婆はもと来た道を駆け戻りました。その速いこと速いこと、一生懸命逃げる男の後ろに迫ります。男は必死で草むらに隠れました。ところが鬼婆は「臭いくさい、蓬の匂いが臭いわい、痛いいたい、菖蒲の刀が痛いわい」と言うばかりで男をどうすることもできません。諦めきれず草むらの周りをぐるぐる回るうちに、蓬の汁が鬼婆につきました。菖蒲の葉が鬼婆の目に刺さりました。とうとう鬼婆は死んで溶けてしまい、男は鬼婆からのがれることができました。
めでたしめでたし。

May 11, 2007

春節

上海外国語大学に留学中のSakuです。
前回にも少し紹介しましたが、中国の正月は春節といって旧正月が本番なのですが、その大晦日の夜から早い時間には眠れなくなりました。
何がすごいって、とりあえずびっくりしたのは爆竹と花火ですね。カウントダウンの4、5時間前からそこらじゅうで爆竹と花火が鳴り出して、12時になるともう前が見えなくなります!!そのせいで毎年車の事故が多いらしいです。日本の花火に比べると綺麗さは負けてしまいますが、どこの家でも花火を上げているので数では負けないですね★

私は年越しのとき友達のマンションにいたのですが、そこの住人がマンションの前の道から花火をあげ、ちょうど窓を開けていて、その花火が部屋の目の前で爆発して火の粉が部屋にまで入ってきました!!ほんとにびっくりですよ!!うるさいし、火事になるかと本気で思いましたね(^_^;)でもやはり部屋から打ち上げ花火が見られると、テンションが上がってしまいますね!!

次の日のニュースで見たのですが、爆竹と花火の音に驚いて飼い犬が飼い主を噛むというケースが結構あったそうです。正月早々飼い犬にかまれるなんてショックですね(^^ゞ
春節にはお寺に行ってきました。日本みたいにお参りをするのはするのですが、こちらでは線香を持って何度かお辞儀をしたり、台にひざまずいて何度も手をあわせながらお辞儀をします。私はあまりわからなかったので日本のように手を合わせてきました。
春節中はみんな故郷へ帰ったり、家でゆっくりしているので上海には珍しく昼間は少し静かな時間が過ごせました。

May 8, 2007

エジプトグルメ

 今回はエジプト料理についてお話したいと思います。エジプト料理は「めっちゃうまい!」とまではいかなくとも、慣れると病みつきになるものもあります。
 有名な料理の代表が「コシャリ」と呼ばれる食べ物で、ガイドブックにも必ず載っており、至る所にコシャリ屋があります。コシャリは米、マカロニ、スパゲッティの上に揚げ玉ねぎや豆類を載せ、トマトソースをかけて食べる、ダイエットの敵のような食べ物ですが、おいしくて安くて、店によって味が全然違うので週に何回もコシャリ屋に通います。また、コシャリを作るときの手際の良さも一見の価値ありで、予め作り置きしてある具をほんの数秒で皿に盛り付ける姿には圧倒されます。しかも、盛り付けが下手な場合、客に笑われたり、怒られたりすることもしばしば。

 コシャリの次に多いのがサンドイッチ屋です。サンドイッチと行っても日本のとは全く違い、袋状のパンにいろいろな具をはさみます。代表的なものはターメイヤと呼ばれる空豆をすり潰して揚げた物や、フールというマメをペースト状にした物、シャワルマ(写真参照)等です。サンドイッチもコシャリ同様、安く、早く、うまいので、しょっちゅう食べています。

 また、エジプトの名物料理の一つと言われているのが、「モッホ」という脳みそ料理でこないだ初めて食べました。何の脳みそかは未だにわからないのですが(牛でないことを祈ります)、揚げた脳みそはとろとろで、ある人によると白子みたいな味とのことでした。

 いろいろとおいしい食べ物がありますが、やはり一番おいしいのは家庭料理らしく、どのエジプト人も「うちの料理が一番おいしい」と言います。僕も幸運にも何度か食べる機会に恵まれたのですが、本当においしくてお腹一杯になってもまだ食べたいぐらいでした。エジプトで外食産業が発達しないのはこういう家庭料理があるからなのでしょうか。

写真(上から)
・日本のガイドブックにも載っているコシャリ屋
・シャワルマを売っている風景(この肉を削ぎ落としてサンドイッチに挟みます)
・揚げたモッホ

May 7, 2007

ドイツのパーティー事情

今回はドイツでのパーティーについて少々紹介したいと思います。
日本でパーティーといえば、居酒屋・レストランなどでみんな座って団欒するものではないでしょうか。私もこっちにきた当初はどこかのレストランに行って楽しむものだと思っていましたが、実際に行ってみるとまぁ、想像とは違うのなんのって。
まずパーティーはどこかの室内ホールかバーで行われます。会場に入ってみると、みんなお酒片手に立ちながら会話。座ってまったり会談なんてことはあまりないですね。そして、なんと言ってもドイツでのパーティーといえばダンス!!
大抵ホールのどこかにダンス用のレコード・プレーヤーが置かれていて、ずっと音楽が流れ、みんな踊っては談話して、また踊っては談話する。その繰り返しですね。

もちろん私はダンスなんてしたことはありませんが、問題はありません。もちろんかっこよく踊ることができるなら、みんなの注目を集めることできてお得だとは思いますが、踊りを知らなくても適当に音楽に合わせて少し踊るだけで十分その場を堪能できます。これからドイツに留学したいと思っている人たちは、少し日本でダンスを齧っておきましょう。パーティーの注目の的になれるかもしれませんよ。

パーティーといえば、こちらの誕生日パーティーも日本のパーティーとまた違いますね。誕生日のその人が主催者となり、みなを招待して、おもてなしをします。主催者その人が料理やお菓子をみんなのために作るんですね、驚きです。
日本では逆ですよね。みんながパーティーを開いてくれて、ケーキまで用意されていますから。こっちでは祝ってくれいるみんなにおもてなしをするのが当たり前のようです。誕生日はその人にとってかなりハードなもののようです。

日本でのパーティーも好きですが、こっちでのパーティーも盛り上がりでは負けていません。溶け込んでしまえばとっても楽しめるものだと思います。これからドイツに行きたいと思っている人たちも実際こっちのパーティーに参加することがあれば、怖じけることなく楽しんでみてください。病み付きになるかもしれませんよ。

April 20, 2007

実は身近な異文化コミュニケーション

 私たちは異文化というとまず外国の文化を思いうかべがちです。でも、実はわたしたちの身近な所にも異文化はたくさんあるのです。たとえば男性と女性の文化、世代ごとの異なる文化などです。つまり私たちは日常生活の中でいつも異文化コミュニケーションをしているのです。異文化コミュニケーションには誤解がつきものです。みなさんも異性の考えていることがわからないとか、親にいくら自分の考えを主張しても理解してもらえなかったという経験があると思います。これらはみんな文化の違いによるお互いの誤解が原因なのかもしれません。

 さらに同性の同世代で、文化が似ていると思っているみなさんの間にも育った地方、家庭環境などにより微妙な文化の違いがありませんか。みなさんはよく「ノリが違う」などという表現を使いますが、ノリが似ている(文化が似ている)人とはスムーズにコミュニケーションが進みますが、ノリが違う(文化が違う)と会話をしていてもなんとなく楽しくありません。

 みなさんがこれから入学する大学にはこれまでの高校などとはまた違った文化があり、それに適応していくことが求められます。この教科書での学習をとおして英語を読むことだけではなく、異文化とどのように向き合っていくかを考えてほしいと思っています。

April 17, 2007

アルゼンチンのおすすめの食事

 去年の8月、アルゼンチンに調査・研究に行きました。アルゼンチンは、日本の真裏に位置しています。ですから、8月ですと、真冬でした。日本を発つ時には、暑くて半袖のTシャツですが、途中で、着込んでいかないといけません。飛行機の中で、半袖から長袖シャツ、セーターにフリースのジャケット、マフラーまで用意して、空港に降り立ちます。だから機内への持ち込み荷物も大変なんですよ。
 アルゼンチンは、面積が日本の約7.5倍なのですが、人口は4千万を切ります。なんと人口密度は1平方キロメートルに14人なんですよ。長さは南北に約3700キロ(日本のほぼ2倍)、東西が1400キロもあります。南半球ですから、季節が逆だけでなく、太陽も南ではなく、北を通るんです。最初行った時、太陽に向かって歩いていて、全く逆方向へ行っていた、なんてこともありました。昔、日本の人がアルゼンチンで家を借りる時、よく「南向きをお願いします」って言ったらしいです。不動産会社の人たちは驚いていたんですって。「日本人は日が当たらない部屋が好きなんだ」と思われていたのですよ。もちろん、借りた人も驚いたでしょうね、全く日が当たらないんですから。ようやく気がついて、北向きを選んだのは言うまでもありません。
『エンパナーダ』具だくさんのミートパイ 
さて、アルゼンチンと言えば、何でしょうか。川幅が最大約200キロのラプラタ川、タンゴ、サッカー、「母をたずねて3000里」のマルコが訪ねた国、などなど。しかし、私のおすすめは、やっぱり食事です。世界でも有名な牛肉の産地、アルゼンチン。毎日牛肉を食べるんですが、日本と違って、赤身の肉は、脂肪が殆どなく、あっさり?としているので、毎日でも食べられるんですよ。ただその量は半端じゃなく、ステーキ一人前の量は、最低400グラムぐらいからで、1キロちょっとまでメニューにあります。
それだけではなく、前菜においしいミートパイ『エンパナーダ』、これがまた捨てがたい。そして、パン。意外と知られていませんが、アルゼンチンのパンは本当においしいんです。食べ過ぎると、大変ですが。
またピザもイタリア人移民が多い国なので、何とも言えず、おいしくて安い! 

『ミラネサ』ビフカツ
また同じく、国民的食べ物に、ビフカツ『ミラネサ』があります。ステーキが高いとミラネサを食べるのですが、これがまた美味。定食屋でも、レストランでも超人気メニュー。
後ろの傘と大きさを比べてください。
そして最後に、アイスクリーム。日本にはない、独自のアイスクリーム屋が何軒も競争しています。「○○の何々味がいい」なんて、子供からおじさん達の会話にもしょっちゅう出てきます。いくつか食べ比べましたが、どこでも幸せを感じてしまいました。アルゼンチン名物と言えば、『ドゥルセ・デ・レーチェ』、ミルクジャムのことです。パンにも、お菓子にも、アイスやシェークにも登場します。甘いんですが、病みつきになってしまいます。
 食に関して、今、アルゼンチンで流行っているのは、デリバリー、つまり宅配です。ピッツアだけでなく、アイスクリームや定食から高級料理まで、お店に電話すると、すぐにあつあつや、冷たいものがそのまま届きます。小さな定食屋でも、昼や夜のお弁当なども届けていまして、オフィスや家庭でも結構、人気がありました。


アルゼンチンスタイルの寿司
それから、お寿司ブーム。どこに行っても、寿司が人気です。スーパーでも売っているんですが、かなり高価で、ビフカツが何枚も買えてしまいます。日本から行った私としては、ビフカツを選んでしまうんですが、友人が日本食レストランをしているので、思いっきり寿司を出してくれました。チーズが入っていたり、アボカド入りなど、どこかで、「それは寿司じゃない!」って言われるでしょうが、やっぱりおいしかったです。寿司職人は、”Sushi-man” と呼ばれていまして、腕のいい sushi-man はひっぱりだことか。

 これだけ聞くと、太ると思うでしょうね。ところが、みんな結構、スタイルがいいんですよ。どうしてあれだけ食べて、そのスタイルを維持できるのか、聞いて回ったのですが、みんな笑うだけ。とてもお洒落なアルゼンチン人は、食べる時は食べ、お洒落をして、しっかり働いていました。
 日本から真裏のアルゼンチン、どうですか?行ってみたいでしょう? でも、片道30時間ほどかかります。行きに、2日、帰りに2日は見ておいて下さい。結局、アルゼンチンに行くには、1に体力、2に時間、そして胃袋を鍛えてからにしてくださいね。

March 14, 2007

中国の春節

新年好!!

中国の新年は春節といって旧正月(今年は2月18日)が新年なので、春節に向けて町中は春節モードに染まって行きます。中国はとにかく赤色の飾り物が多くてどこへ行っても赤が視界に入らないということはありません。特に春節がくると赤のちょうちんや豚の飾り物(今年が猪年なので。ちなみに中国語で豚は猪と書きます)やいろいろな貼り物がたくさん売られています。今は新年が近いとあって、スーパーではもちろん、路上でも売っているし、中華料理の飲食店は特に壁中飾り物だらけです。

中国の正月も田舎に帰る習慣があって、汽車のチケットが手に入らないところがたくさんあったそうです。私も日本へ帰るのかとよく聞かれますが、中国で一番盛り上がる春節を体験したいと思ったので先生の家にお邪魔させてもらうことにしました!(^^)!

春節についておもしろいことがあればまた書き込みます★

March 1, 2007

生活の「アシ」

 こんにちは。いま日本は受験シーズンまっさかりのようですね。エジプトでは長期休暇が明けて、2月4日から新学期が始まりました。
今回は「アシ」について書きたいと思います。カイロにも日本と同じようにバス、地下鉄、タクシーがあります。名前は同じですが、どれも日本とはかなり違います。

 まず地下鉄ですが、車内にはエアコンもやわらかいソファもついておらず、快適とは程遠いです。しかも、時刻表がないので電車がいつ来るのかもわかりません。しかし、日本と同じように女性専用車両があります。これは、宗教上の考え方から来ています。
 次にタクシーですが、これにはかなり驚かされました。車体は普通なのですが、大抵車体はキズやヘコミだらけ、車内はボロボロでいろんなパーツがなくなっている、タイヤは磨り減って溝がなくなり雨のときはスリップしまくり、内側のドアノブは壊れて開けられない、等走っているのが信じられないぐらいの車ばかりです。しかも、メーター制ではなく、外国人とみるやぼったくろうとするので、運賃のことで運転手と喧嘩することも…。

 バスも車体や車内はボロボロで、路線がいろいろとあるにも関わらず行き先が最初はわかりません。また、降りるときは運転手に言ってスピードダウンしてもらい、飛び降りなければなりません。しかし、運賃は一律LE0.5程度で、手をあげればどこでも停まってくれますし、路線もたくさんあり、行き先さえわかれば行きたいところに簡単に行ける便利な乗り物です。しかも、慣れれば開いているドアから半分体をだして遊ぶのも楽しいものです。ちなみに、公共交通機関ではありませんが、エジプトでは動物もまだまだ現役のようで、馬やロバが荷物を満載した荷車を引いていたりする光景も珍しくはありません。

 このように、日本人からすれば信じられないような乗り物ばかりですが、慣れれば気になりませんし、なによりどれも運賃がかなり安いので助かります。そして、どれもカイロ市民の重要な「アシ」になっています。

February 26, 2007

「日本人に共通する英語のミス151」

I have been asked to write something interesting, so I will write about the two most interesting things I have experienced this week. Firstly, on Sunday I saw the first copy of a book I have written, called "151 Common Mistakes of Japanese Students of English", or「日本人に共通する英語のミス151」.

This is a revised edition of a book I wrote years ago called "121 Common Mistakes of Japanese Students of English". The new book contains 151 mistakes which Japanese students often make, such as "I like movie" and "I was exciting" and "Almost people", together with an explanation of each mistake in both Japanese and English, and then the correct sentences, i.e. "I like movies", "I was excited" and "Most people".

The second interesting thing which I experienced recently was a discussion with my students in my seminar on global issues. I asked my students to think about the fact that in the last 50 years both Americans and Japanese people have become much richer, but the proportion of people who say they are happy has stayed the same - about 30%. Why has the proportion of happy people not increased? Also, why do people try to find happiness by buying things? My students and I did not reach any final conclusion on these questions, but we had a very interesting discussion for 90 minutes.

February 19, 2007

「世界の中のスペイン語」

 前回、このコーナーで書きましたように、私の専門はスペインの文化なんですが、関西外大で、スペイン語の科目も担当しております。今日は、そのスペイン語について、少しお話しますね。日本で言う「スペイン語」は、英語からの言い方で、スペイン語圏では、”español”(エスパニョール)とか”castellano”(カステリャーノ)と呼ばれます。
 今、世界でどれだけの人々が、スペイン語を話していると思いますか。言語の統計をとるのはとても難しいのですが、一人の人にとって、一番よく話し、理解できる言語を第一言語、その次によく話し、理解できる語を第二言語というように、数えていきます。人によっては第一言語と第二言語が同等レベルであったり、殆ど差がない場合もあります。その第一言語の人数で見ると、スペイン語が第一言語だと言う人は、世界に3、4億いると言われます。またスペイン語が第二言語だと言う人の数まで入れると、さらに数億増えることでしょう。

 スペイン語を公用語としている国は、国の数だけで言いますと、英語に次いで、世界2位なのです。その国々は、ヨーロッパにあるスペインを初め,北米のメキシコ,中米のグアテマラ,エルサルバドル,ホンジュラス,ニカラグア,コスタリカ,パナマ,カリブ海のキューバ,ドミニカ,南米のエクアドル,コロンビア,ベネズエラ,ペルー,ボリビア,パラグアイ,チリ,ウルグアイ,アルゼンチンです。またプエルトリコ(アメリカ合衆国の海外自治領)やアフリカの赤道ギニアでもスペイン語が公用語です。またスペイン語圏の国々に囲まれたブラジル、長らくスペインの領土だったフィリピンでもスペイン語が通じます。
 もっと面白いことに、今年人口が3億人を超えたアメリカ合衆国で、スペインの人口(約4000万人)と同じぐらいのスペイン語圏出身者とその子孫がいると言われているのです。この人々の中には、英語が充分に理解・話すことができない人も多くいます。そこでアメリカ合衆国でもスペイン語を英語と同様に公用語にしている州や、また公用語ではなくても第一言語がスペイン語である人々が州の人口の半数以上を占める州もあるのです。町の主な表示や公的機関に英語とスペイン語の二言語表記にする地域もあります。

 私が去年の夏、アメリカ合衆国を訪れた際にも、スペイン語が頻繁に聞こえてきました。ワシントンD.C. 、シカゴ、ネバダ州、サンフランシスコなどなど。コーヒーショップ、レストラン、ハンバーガーショップ、ホテル、空港、旅行社。いろいろな場所で、英語を話しているけれど、明らかに第一言語ではないな、と感じる人々を見かけました。暫く観察していると、流ちょうなスペイン語で会話しているではないですか。「なんだ、だったら最初からスペイン語で話せば良かった」と思うこともしばしばでした。こちらがスペイン語で話すと、向こうも喜んで、倍のスピードで?、堰を切ったように楽しく話してくれました。
 私の同僚達(すなわち外大の教員)でも、カナダや米国などの出身のノン・ジャパニーズの教員たちが、時々、私に話しかけてくれます。英語やスペイン語で、「私はスペイン語を勉強しました」と。結構な数の人々がいますよ。

 だから、今、私の教えている学生たちに言っているんです。「将来、米国でもスペイン語が公用語になるかもしれませんよ」って。

そんな日が楽しみな今日この頃です。

February 14, 2007

日本のアニメが海外で大流行!

・学校内での交流
CANADA、僕が派遣されているバンクーバーのSFU大学内では毎日たくさんの人種の人と出会います。アジアだと韓国、中国、台湾、タイ、インドネシア、シンガポール。欧州だとイングランド、ドイツ、スイス、トルコ、オランダ、フランス、イタリアなどなど!もちろんアフリカ大陸からも、ソマリア、コンゴ、南アフリカなどからも学生がここSFUに集って勉強をしています。まさに日本では絶対にありえない光景が毎日繰り広げられています。

僕の場合は韓国人の子達と勉強することが多いです、同じアジアということでお互いにメディアの情報を交換したりしていつも盛り上がっています!韓国だと日本のアニメ、漫画がとにかく人気でスラムダンクやドラゴンボールなど日本で人気の高いものは韓国人の子達もやっぱり大好きです。最近だと日本でも流行っているコミックの「デスノート」の話しなどしてお互いの交流の潤滑油にしたりしてます!
また、同じ寮のフロアのカナダ人の子に日本語を教えたりしてます。日本に興味をもってくれているということがどれだけ素晴らしいことなのか、日本を出て初めて知ったのも僕の大きな財産になっています!


・余暇の過ごし方
僕の今現在の余暇の過ごし方はもっぱらバンクーバーの市外に出て買い物・・・と言いたいところですが全くそんな余裕も無く図書館に行って勉強の週末です。こちらでは日本の大学とは比べものにならないくらい宿題が毎週出されます。最近の楽しみはどれだけこの宿題をはやくしあげれるかどうかでしょうか(笑)

もちろん、勉強だけだと息が詰まるのでたまには友達と外に出かけたりします。バンクーバーだとスタンレーパークへ行くことが多くて、自転車を借りて公園のまわりをサイクリングして気分転換なんかをしてます!あと、バンクーバーでは新鮮な魚介類が多いのでよくおすし屋さんに行って寿司を食べたりします。日本と違ってこちらでは寿司ってファーストフードの感覚で食べる人が多いのです、なぜなら値段がそんなに高くないのです。そのため日本では出来ない贅沢食事をしたりもします(笑)
またバンクーバーはアジア系の移民が大変多くて中華料理店、韓国料理店が学生には人気です。韓国人の友達に連れられて僕もよく韓国料理を食べに行きます、そしてカナダに来ているのに韓国料理にはまりつつあります(笑)

・高校生へのメッセージ
僕は今回のカナダへの留学が初めての本格的な留学となりました。それまでは日本でひたすら英文を読んだり、ボキャブラリーを覚えたり、イディオムを暗記したり、そんなことばかりして英語を勉強していました、そしてこれが日本での「英語」のスタイルだと思います。
そんな僕がこちらに来て今実感しているのは英語って「学問」じゃなくて「tool(手段)」であるということです。もちろん、授業では日本でやっていた勉強の仕方のおかげで文は読めます、ただ普段のコミュニケーションの場合はそんなこと全く役に立ちません。いかに自分の意見を言えるのか、いかに相手の言葉をちゃんと理解できるのか、それがここでの「英語」なんです。よく、テレビや雑誌なんかで「英語が好きになる○○!」といった宣伝文句を日本で見たのを最近良く思い出しますが、それは間違っています。英語自体を好きなるんじゃなくて、色々な国の人々と交流するためのただの「tool」として英語は必要なんだと実感することが大切なことなんです。

実際に英語を「tool」として僕はここで今様々なことを学んでいます。韓国の友達からは韓国での兵役について、北朝鮮との軋轢について。中国の友達からは中国の国家体制、貧富の差の拡大。カナダの友達からは日本メディアの海外での評価、カナダへの移民に対する感情など、けっして教科書からだけでは学べないことを今僕は学んでいます。

僕は最近よく、今の高校生のみんなに一度海外で留学をする機会を持ってほしいと良く思います。もちろんどんな動機でもいいんです、海外の生活に憧れる!とか英語をもっと上達させたい!とか。きっと留学、日本から出て色々な物、人、文化に触れるということはみんなの大きな財産になります。日本では考えなかったことを考えるようになったり、日本の素晴らしさを改めて実感できると思います、実際僕がそのいい例です。少しでも多くの若い人が海外に出ることがきっと本人達だけでなく日本のためになるだろうなって思います!

February 3, 2007

アガニアにあるラッテストーン公園

 これから、ミクロネシアでの研究や体験についてお話しさせていただきます。基本的には毎年夏休みを利用して、日本の南に広がるミクロネシアへ考古学研究の目的で調査に出かけています。今回は皆さんがご存
じのグアム島を紹介しましょう。
地球の表面積の三分の一もある広大な太平洋は、ミクロネシアとメラネシアとポリネシアの三つの地域に分けられています。その中で、グアム島のあるミクロネシアは、日本に最も近い地域です。東洋のガラパゴスと呼ばれている東京都の小笠原諸島の南に、14の火山島が南北に並ぶマリアナ諸島があります。そこはもうすでにミクロネシアの世界なのです。その南端にグアム島があり、伊豆諸島から弓状に連なる富士火山帯の仲間です。

 マリアナ諸島には、ラッテ・ストーンと呼ばれるサンゴ石灰岩で作られたこけし人形のような形をした建物の床下に使われた巨石柱が、至る所に見られます。大小様々で8本〜12本ほどの石柱が2列に立てられた建物が、数軒で一つの村を構成しています。グアム島とサイパン島の間にあるテニアン島のラッテ・ストーンは4.3メートルの高さがあります。私が発掘に参加したラッテ・ストーンが採掘されたロタ島のアス・ニエヴェス遺跡のものは、5メートル以上の高さがありました。身分によってその大きさが違っていたのでしょう。およそ1200年から500年前に作られたようです。

 グアム島を訪れる機会があれば、先史時代の巨石遺跡の一つであるラッテ・ストーンを是非とも訪れてください。ラッテ・ストーン公園には他の場所にあった遺跡のものを移築して復元してあります。また、北マリアナ諸島連邦の国旗や道路の標識やグアム大学のサインなど、至る所にラッテ・ストーンがモチーフとして使われていることを、お気づきになることでしょう。

 ところで、大学と自宅の往復には、イメージ・トレーニングと称してミクロネシアの音楽を聴いています。

February 3, 2007

大多数がMYサウナを持っている!

フィンランドならではの休日の過ごし方を紹介します。
フィンランドといえばサウナ!
国民の大多数がMYサウナを持っている国です。
週末に友達のケサモッキに招待され、そこでフィンランド式サウナを経験しました。
ケサモッキとはサマーハウスという意味で、日本でいう別荘です。ケサモッキは大抵湖か海の近くに建てられていて、ケサモッキにあるサウナから伸びる桟橋を通って湖に入れる設計になっています。

今回私が招待されたケサモッキはフィンランドの南の方にあり、バルト海に面して建てられているコテージでした。(海を渡ればスウェーデン!!)
トナカイ肉の晩御飯を食べ、ゲームをしてからサウナに入りました。サウナで海に飛び込めるまで体を温めてから、桟橋を走って海に飛び込みました!これを何回か繰り返してサウナを楽しむのがフィンランド式。
私は3回程サウナと海を往復しました。
海から上がると自分の目線と同じ高さに北斗七星!!頭上には天の川が大パノラマで見えました!
感動!!!

写真はケサモッキの外観とサウナです。

January 30, 2007

ドイツの正月について

ドイツでは元旦のことをSilvester(ジルベスター)と言います。
クリスマスを終えてから少し静かになったドイツでしたが、Silvesterにはまた活気が戻ってきます。

去年までは日本の実家で炬燵に入りながら紅白を見ていたのですが、
今年は外大仲間とハンブルクに行って、
本場ドイツのSilvesterを堪能してきました。

その感想なのですが、なんといっても「花火」のインパクトがとても強いですね。

ここドイツでは
Silvesterの三日前ぐらいにスーパーのあちこちで花火を売るようになります。

はじめは、「時期はずれやなぁ」
とあまり気にせずに見ていましたが、
実際にSilvesterを体験してみると、
花火はsilvesterに欠かせない必需品だということが嫌というほどわかります。

夏に花火をするのではなく、
冬のSilvesterの日に花火で大いに盛り上がる、
それがドイツの習慣のようです。

どのぐらい盛り上がるかというと、
真昼間から爆竹の音が町中に木霊することほどです。

子供から大人まであっちやこっちで花火のし放題です。
日本のように手持ち花火を使うところはほとんどなく、
たいていが打ち上げ花火、ロケット花火、爆竹などを使っています。

昼真っからそれですので、
Silvesterが近づいてくるごとにその激しさは増していきます。

夜に町を歩くと、
時に足元に爆竹を投げつけられたり、
すぐ近くをロケット花火が通過したりと、
身の危険を感じてしまうほど花火が飛び交っています。

私たちはエルベ川沿いの港でカウントダウンまでの時間を過ごしていたのですが、
もう花火の無法地帯。
これでもか!
といわんばかりにみながみな個々の花火を打ち上げます。

そんな中、
シャンパンで飲み明かしている人もいれば、
歌を歌いだす人もいるなど、
危険なことなど露とも気にせず、
港はたくさんの人で溢れかえります。

別段カウントダウンの掛け声が聞こえたりするでもなく、5分前ぐらいに花火の勢いが増えていき、
エルベ川を遊覧している船の汽笛の音で新年の始まりとなります。

その音が聞こえた瞬間、
残った花火をみんな一斉に打ち上げます。

Silvesterを祝う歓喜の声、
花火の音、光、
火薬のにおい。

そのとき私は驚きはしたものの、
熱気に包まれながら新年を祝うのもいいね、
と、華やかに飾られたエルベ川で楽しませてもらいました。


一度みなさまも身の危険を承知で「ドイツの新年」を迎えてみてはいかがでしょうか。
それでは、
Prosit Neujahr!! (明けましておめでとうございます)

January 29, 2007

真夏のクリスマスとお正月

 日本ではクリスマスとお正月は、冬の大イベントですが、南半球では真夏のイベントになります。季節が違うだけで、雰囲気は全然変わってきますよね。私は、日本人のせいか、冬の方が、ロマンティックな気もします・・・。
この写真は私のチリの友人の子供達の写真です。ご覧の通りサンタさんと一緒なんですが、子供達は半袖姿でなんとなく不思議な感じがしますね。ですから、南米の人が日本へ来ると、冬のクリスマスを楽しみにしてるそうです。私の上司の奥さんも暖炉を囲んでのクリスマスにエキサイトしてました。

先日、東京の神田に最近オープンした、ラテンバー、”Pasatiempo” (暇つぶし)へ行って来ました。ちょうど、ライブをやっている日で、チャランゴ(南米アンデスのフォルクローレ演奏に使われる楽器、形はウクレレに似ている)の演奏をやっていました。私も生のチャランゴの演奏を聴いたのは生まれて初めてだったので、哀愁を帯びた音色がとても印象的でした。

チャランゴ(写真の左)を演奏しているのは、京都出身の福田大治さんです。彼は、ボリビアに8年間在住、ボリビア政府にも認められたプロのチャランゴ奏者です。現在は日本国内で、演奏活動をされています。演奏もトークもとてもチャーミングですよ。

東京では、スペインバル(スペイン風立ち飲み居酒屋)がブレイク中。残念ながら、ラテンバーはまだあまり馴染みがなく、これからどんどん増えて行って欲しいなあと思います。!
VIVA LATINOAMERICA!

January 29, 2007

カイロの年末年始

 あけましておめでとうございます。今回はカイロの年末年始がどんな様子だったのか、ご紹介したいと思います。エジプトでは日本や欧米諸国のように大晦日や新年を大々的に祝ったりすることはありません。せいぜい外資系のホテルや、外国人が住む地域でお祝いが行われるぐらいです。その訳は、イスラム暦は太陽暦とは違う為、イスラム暦の新年が西暦と異なるからです。

 イスラム暦の新年はラマダン月と同様、毎年少しずつずれます。今年は1月21日が新年でした。しかし、この日もエジプトではいつもと同じ一日のように過ぎていきました。せいぜい会社や官公庁が休みになるぐらいだったそうです。どうやら、カイロの人にとって新年を特別の日として祝う感覚がないようなのです。
 このように新しい年といってもそんなに盛り上がらないエジプトですが、今年の西暦での年末年始は違っていました。それは年末年始に犠牲祭が重なったからです。
 
 犠牲祭は予言者イブラヒームに関する言い伝えに端を発しています。犠牲祭の間ムスリムは唯一神アッラーに犠牲を捧げます。このとき犠牲として殺される生き物は、羊や牛からラクダまで様々です。ムスリムはこれらの動物を犠牲にするだけではなく、殺された動物の肉の1/3を貧者に、1/3を友達や知り合いに、残り1/3を家族に配ります。ここでもラマダンの習慣と同じようにムスリムの貧しい人々を助けようとしたり、家族や友人を大切にしたりする心がよくわかります。
 犠牲祭の間は町の至るところで様々な動物が殺されます。僕が初めて遭遇したのは去年の年末でした。友人と歩いていると牛や羊が数人の人々にひかれ、その後を多くの人が追いかけていたのでついて行ってみると、巨大な包丁を持った男性が牛に近づいていきました。その後は人だかりのせいで見られなかったのですが、その男性の顔についた返り血で何が起こったかは容易に想像できました。

 このように我々日本人からみれば少し馴染みのない習慣のあるエジプトですが、いつも新しい発見や経験を与えてくれるので、生活していて飽きるということがありません。

January 26, 2007

日本にいるということ

 Four and a half years ago, on a cold November afternoon, I met my boyfriend; a tall, dark, stunning man with finely crafted Asian features and a wardrobe full of Jean-Paul Gautier and an a crisp, lilting accent to his English. I met him in Manhattan - the melting-pot epicenter of America - at a posh, velvet-draped nightclub. I met him with a glass of French wine in his hand, engaged in conversation with his companions in a language that I couldn't even identify at the time, much less comprehend; but when I asked, he told me his name - Satoru. He told me that he was from Japan.

 How exotic! I thought to myself, immediately picturing all the stereotypical things that most Americans do when they think of the Land of the Rising Sun - geisha in splendid kimono wandering down a lane lined with cherry blossoms, samurai in full regalia, pagoda temples and platters of exotic sushi and the bright, bustling never-night of Tokyo. To a Caucasian girl raised on baseball and apple pie, Asia was as far-fetched and "foreign" as anywhere could be. If he'd said "Mars" when I'd asked him of his homeland, he couldn't have impressed me more. When he commented on the astounding nightlife of New York City, I brushed the comment away as hollow flattery - after all, Manhattan could hardly be considered "exotic", could it? New York was the norm, the baseline, the criteria by which I judged every other place. New York was familiar and simple, and couldn't hold a candle to Tokyo.

 Now, four and a half years later, I sit in Daddy's Shoes at night, chatting as best I can with my remedial Japanese skills with the locals of Hirakatashi - only this time, I am the foreigner. My blond hair and blue eyes, so standard in my hometown as to be nearly unnoticeable, are exotic here. The mention of my little hometown across the world in New York is met with wide-eyed gasps and impressed responses. Baseball, apple pie, and fireworks on the fourth of July - all these things are "exotic" within the cultural context of my new hometown. For the first time in my life, I am the foreigner - the one who looks different, speaks differently, grew up in a place that many people have only seen in pictures. It's an interesting experience, finding myself on the other side of the proverbial, cultural fence.

 And it's even more interesting to see my stunning, jet-set boyfriend with his smoothly inflected Japanese and his inherently Asian face and his Okinawan heritage slide through crowds without warranting so much as a curious glance; here, he is no more "exotic" than I was in New York. He is simply another Nihonjin, one of a million, with nothing far-fetched or fantastic to set him apart. In New York, he seemed like a cultural icon. Here, he is simply part of the community. It's me that's taken on the role of the exotic foreign counterpart.

 When I return to America in two weeks, I will once again be just another face in the New York crowd. But for just a little longer, I have the chance to be a foreigner. I have the chance to be different. I intend to enjoy it as much as I can.

January 26, 2007

スウェーデンのクリスマスとお正月

スウェーデンのヨーテボリでは、12月に入ると町中がライトアップされ、一気にクリスマスへの準備がはじまります。冬の天気は、曇りと雨がほとんどですが、町のクリスマスイルミネーションやデコレーションで、町を歩くだけで気分も楽しくなります。スウェーデンの24日から28日頃までのクリスマスは家族や親戚で過ごし、お正月は友達と過ごすのが一般的なようです。

スウェーデンのクリスマスパーティーでは、20種類くらいの料理が用意されます。友達のスウェーデン人ともクリスマスパーティーでは、みんなでJulbord(ユールボードゥ・・クリスマスの食べ物)を楽しみました。主な内容はJulskinka(ユールフィンカ・・ハム)、Köttbullar(シェットゥブッラル・・肉団子)、Inlagdsill(インラグドゥスィル・・ビン詰ニシン)、Hallandskål(ハッランスコール・・キャベツを煮てその後炒めたもの)、Risgrynsgröt(リースグリィーンスグレートゥ・・ミルクをかけて食べるおかゆ)などです。
特にこの時期に食べるユールフィンカ(Jul skinka)というハムは、印象に残っています。

お正月は、友達同士で集まって、新年のカウントダウンパーティーをしました。年末31日は、ヨーテボリでも2回新年を祝う花火が上がりました。日本のようなお正月休みというのは基本的にないので、1月2日から、ほとんどのお店も開いていて、あちこちでセールが始まっていました。
また、スウェーデンでは、年が明けても1月中旬まで、クリスマスツリーを飾っていて、みんなが大好きなクリスマスをゆっくりと楽しむようです。

January 24, 2007

一年の始まり

明けましておめでとうございます。2007年が始まりました。さて、一年は何月何日から始まるのでしょうか?「一月一日(元日)」に決まってる!と叫んだあなた、間違いではないけれど正解でもありません。一年の始めは他にもあるのです。まず、一月一日。これを大正月といいます。暦の最初は確かにこの日なのですが、一月十五日、この日も実は一年の始まる日です。小正月といって、農業の暦は厳密にはこの日開始です。それから立春。一年の四季を順番に挙げてみてください。「春・夏・秋・冬」ですね。一年は春から始まる……。だから、元日に届く(はずの)年賀状によく「初春」とか、「新春」の言葉が使われるわけです。とすると、「今日から春になります」という二月四日、立春の日は、当然一年の始まる日であるわけです。
 みなさんが常識、と思っていることが、角度を変えると違って見える。そこから学びが始まります。今年もよい年でありますように。

 (写真はお正月の玄関飾りです。この飾りの形も地方地方でずいぶん違います。皆さんのお家の飾りはどんな形ですか?)

January 23, 2007

Happy New Year to everyone who reads this.

I really enjoy Shogatsu in Japan, and I also enjoy Christmas, though Christmas here in Japan is very different from Christmas in England, where I was born and grew up. Let me explain some of the differences.

◎ 1. In Britain, nobody works on Dec. 25, 26 and 27 (except for nurses, doctors, policemen, etc.), and many people have eight or nine days holiday, from Dec. 25 to Jan. 2 or 3. All shops and restaurants are closed on Dec. 25, 26 and 27. There are no trains or buses, and there are very few cars on the roads. City centres are like ghost towns.

◎ 2. Most British people spend Christmas at home with their family, or they visit their relatives.

◎ 3. Most British people go to church on Christmas Day or Christmas Eve, and they sing beautiful songs about the birth of Jesus Christ and listen to stories in the Bible about his birth. Everybody knows that Christmas is a festival which celebrates the birth of Jesus, even
though they may not be very interested in Christianity.

◎ 4. Many British people give money to poor people at Christmas, because they feel happy and kind at Christmas, and they believe that Christmas is a time for giving. Some people sing carols (Christmas songs) in
public places or outside people's houses, and they collect money for poor people from the people who listen to them.

◎ 5. On Christmas Day, most British people eat roast turkey with roast potatoes, vegetables and several kinds of sauce, followed by Christmas Pudding, which is a very rich, heavy, steamed fruit cake made of flour, eggs, sugar, raisins, currants, spices, brandy, etc. This pudding is usually made at least a month before Christmas.

As you can see, Christmas in Britain is very different from Christmas in Japan, but I enjoy Christmas in both countries.

January 22, 2007

スペインのお正月

 スペインは、キリスト教のカトリック信者が多い国です。紀元前3世紀にローマ人がやってきてから、ローマ人の文化がスペインの文化の基盤となりました。宗教もそうです。途中でイベリア半島(スペインがある半島)に、イスラム教徒たちがやってきて、キリスト教徒と長い戦争になりますが、キリスト教徒が再征服(レコンキスタ)して以来のカトリック教国ですので、キリスト教の行事を大事にします。

 スペインのお正月というのは、クリスマスウィークの中にあるようなものです。12月になりますと、街中にクリスマスイルミネーション、デコレーションが現れます。クリスマスイブ近くになると遠くにいる家族も帰省して、イブは家に集まって食事をします。親戚が集まったりして、日本のように、カップルだけとか核家族だけとかなんて寂しいことはないのです。一人きり?それは死んだほうがましって、言われました。25日は静かな朝を迎えます。イブに徹夜している人も(子供も)多いので、比較的ゆっくり家で過ごします。もちろん、教会のミサにでかける人もいます。町中のお店が全部閉まっていて、飢え死にしそうになったこともありました。

 それから31日まではクリスマスデコレーションや音楽の中で過ごし、大晦日は宗教と関係なく、町中に繰り出す人も多く見られます。そして真夜中まで、人が集まるところで、待機します。家にいる場合はテレビで、マドリーの時計が映し出されます。皆、それぞれ12粒のブドウを両手一杯に持ち、それを時計の鐘の音が12時を打つのと同時に口の中に放り込んでいきます。「ボーン、ボーン」という音に合わせて。これは簡単に思われるでしょうが、皮付き、種入り、時にはつるの端(トゲのようなもの)がついているものを、食べるんですよ。
ブドウだって、小さいサイズじゃなく、マスカットのような大きな粒です。話しには聞いていましたが、鐘の音は早いし、ブドウのトゲはささるし、窒息しそうでした。その時の私の顔は、きっと目を白黒させながら、必死に真っ赤な顔で、ほおばっていたと思います。それが終わると、そこら中の人々、知り合いも見知らぬ人とも抱き合って、「おめでとう」と言って、頬にキスをします。夫の頬に真っ赤な口紅(私じゃないですよ)がついていて、大笑いすることもありました。
後は、朝まで歌ったり、踊ったり、町中が華やかです。若い人たちは家に帰らず夜通し、友だちと楽しんでいます。ブドウを食べる習慣はそう古い習慣じゃないということですが、もう一つ新しい習慣として、恋人が欲しい人は、真っ赤な下着を着て、その日を過すのだそう。そうすれば、良い相手が見つかるんだって。それを実行して、幸せな結婚をしたという知人がいますよ。

 さて一方、結婚している人々は、新年おめでとうの乾杯の前に、シャンパングラスに結婚指輪を外して、その中に入れ、その指輪の入ったシャンパングラスを飲み干します(指輪は残して)。そうすると幸せになるらしいです。私もしたかって?トライはしましたよ。でも悲しいかな指輪が抜けなかったんです。結婚して数年、外さずに暮らしてきたもので。これが本当の幸せ太り?

 新年過ぎても、まだクリスマスウィークは続きます。1月6日の御公現の日まで。5日の夜にクリスマスプレゼントが届くんですよ。サンタさんからではなく、東方三博士から。その日でクリスマスも学校の休みも終わるんです。

バスクのクリスマスとお正月は、また一味違います。それは、またいつかお話しますね。

January 18, 2007

フィンランド(turku)のクリスマス

今回はフィンランド(turku)のクリスマスについて投稿します。
私が住んでいる町turkuでは12月になると週末日曜日にはクリスマスマーケットが開かれ、普段は静かな町もたくさんの人で賑わいます。
このマーケットではサウナ用品やフィンランドの伝統的な民芸品からパン、魚、ハチミツなどの食料品まで、さまざまな物が屋台で売られます。
マーケットの中央では子供達向けの劇も催され、クリスマスにまつわる話が演じられます。
劇が終わるとサンタクロースも登場するのでサンタと会うことも出来ます!

買い物に疲れたらカフェに入ってグロッギと呼ばれるクリスマスの暖かい飲み物を飲みながら休憩します。また、マーケットの周りには馬(ポニー)も走っていて、小さい子供達が楽しそうに乗っていました。ほんとに暖かい雰囲気のマーケットなのですが12月中の日曜日、それもクリスマスまでの3回だけなのでturku中の人が集まっているような活気さで見ているだけで楽しめます!!

話は変わりますが12月13日はルチア祭でturkuのシンボルであるturku大聖堂の中ではルチアに扮した女の子達が頭にろうそくを灯す冠をかぶり賛美歌を歌います。ルチア祭はもともとはスウェーデンの方から伝わった伝統行事ですが、旧暦の冬至のお祭りだそうで、今ではクリスマスを祝うイベントの一つになっています。
日本のクリスマスとは違い静かで、暖かいのがフィンランドのクリスマスです。

January 15, 2007

駅やデパートのトイレが有料!?

こんにちは
私がこちらドイツに来てから早1ヶ月が経ってしまいました。
だいぶとこちらの生活に慣れてきて大学での勉強、授業が終わってからの自由時間、夕方からの同じ寮仲間での集まり等など、生活リズムがちゃくちゃくと定着してきてうれしく感じています。
今回はドイツに来て日本と違っていて、驚いたことをいくつか紹介したいと思います。

▼まず、こちらではコンビニはないし、ファミレスのように24時間営業のレストランもありません。
▼休日・祝日は町自体がとても静かで、レストランなどを除いてはほとんどのお店がしまっています。
▼自転車が多く、自転車専用の道もよく設備されていて、電車の中にさえもそのまま乗せることが出来ます。
▼ゴミの分別が事細かで、ビンやペットボトルを返せばお金が戻ってくるデポジット制が取られています。

▼トイレをしようにも公衆トイレはとても少ないうえ、デパートや駅のトイレは50円近く払わないといけなかったりします。
▼スーパーは入り口から入ったらでることができず、カートはとても大きく、買い物袋は有料です。
▼日が出ているときには公園で日向ぼっこをしている人が多く、遊歩道を歩いたり、走ったり、自転車で滑走している人も多くいます。
▼こちらでのパーティーと言えば、飲んで話してダンスをする。日本のようにみんな腰をおろして話し合ったりはしません。

など等、細かいことを挙げていけばきりがないぐらい新しい発見があり、それに驚き、困ったり、楽しんだりしています。
日本ではない、ドイツならではの文化。良い点も悪い点どちらもいろいろ私を考えさせてくれます。現地で生活できる留学ならではの魅力だなぁ、と思います。


◎写真
一枚目:祝日の商店街
二枚目:平日の商店街
三枚目:仲間たち

January 15, 2007

『えっ!?』

上海外国語大学留学中のsakuです。
この写真は私が住んでる上海外大の寮です。
上のほうの階がホテルってこともあって結構きれいです(^^♪
この綺麗な寮の中でも、学校でも、スーパーでも、留学に来ると毎日『えっ!?』ってことばかりです!!
というわけで最近の『えっ!?』を紹介しますヽ(^o^)丿

順番抜かしされるのは当たり前!?
何か堂々としすぎて私が順番抜かしてしまったのかなって考えてしまうくらいです.。スーパーで買い物をしていて、「この商品とこの商品はどう違うの」って店員さんに聞くと「こっちはまぁまぁおいしいけどこっちはまずいからこっちにしなよ」と自分の作った商品でもないのにキッパリ評価を下す。商品には厳しいけど、私達には正直でかなり親切ですね◎

外を歩けばパジャマ姿で歩いている人を発見★
最近ではこれでもパジャマで歩く人は少なくなったそうですが、昔パジャマで歩くのは一種の金持ちのステータスだったそうです。上海がまだあまり発展していないとき、パジャマを着て寝るというのはお金持ちを象徴していたそうです。その考えが少なからず今も残っていてパジャマで普通に外に出て買い物したりしています。でも最近ではマナー改善のためにそのパジャマ姿で外を歩くことも控えるようになってきたそうです。それでもまだよく見かけますけどね(^_^;)

留学中の驚きなんて数えたらキリが無い・・・
でもこれがあるからこそ毎日が楽しいですっ♪♪

January 5, 2007

ラマダン

日本では全く馴染みのないラマダンですが、イスラムの国であるエジプトでは当然のこと。こちらの生活にもやっと慣れてきた時に突然始まったラマダンについて少しご紹介します。

まずラマダンを簡単に説明しますと、イスラム学者や天文学者らがイスラム暦9月の新月を確認し、イスラム教最高権威が断食月入りを宣言して、ラマダン月が始まります。その為毎年ラマダンの月は少しずつずれます。ラマダンの間イスラム教徒たちは、日の出から日没まで一切のものを口にすることはできません。その他にもラマダン中にはコーランを読んだり喜捨をしたり、しなければいけないことがたくさんあります。また、今ではお祭りのようになってるいる為、町中にラマダン用のランタンが飾られて、とてもきれいです。

ラマダン中は普段とスケジュールが一変します。朝、日の出前に起きて朝食を済まし、仕事に行きます。仕事も早めに終わるので3時までには帰宅(大学も授業が短縮されて早く終わりました)。日没とともに、夕食を腹いっぱい食べ、また夜11時頃に2回目の夕食をたっぷり食べます。この夕食の宴は日没から深夜まで続くこともしばしば。また、ラマダン中だけ町中の至る所で、貧しい人等の為に無料で夕食が提供されます。僕も数回この施しに行かせてもらいましたが、彼らの食欲はものすごいです。日没と同時に食べ始めて、10分後には食事をすべて平らげて去っていきます。初めて行った時は、そのスピードと勢いにあ然とするしかありませんでした…。

僕もせっかく来たのだからと挑戦してみましたが、かなりつらいです。空腹もつらいのですが、目の前にある食べ物を食べられないのがもっとつらかったです。でも、現地の人々と同じ体験ができて、エジプトを体で感じることができてとても楽しかったです。来てから出る一方だった腹も少しはマシになったし!でも、最近の人々は、ラマダン中は食べすぎで太る場合のほうが多いらしいですが…。

◎写真:町中にでている貧しい人等への施し

December 26, 2006

中国添乗

 先日書かせていただいた通り、中国の北京に添乗員として行ってまいりました。初めての海外添乗で緊張しましたが、バス2台の大所帯、先輩と共に頑張ってきました。
特に大きな問題もなく、無事帰国となりました。いろんな観光地を見てまわったのですが、一番印象に残っているのは万里の長城です。雄大です!!これ以上ぴったりの言葉が見つかりません。

 観光に行った日は強風のため、ロープウェイで上まで行くことはできなかったのですが、下から見るだけでも十分価値ありです!ちなみに、ふもとには旅館や民宿がたくさんあったのですが、閑散としていました・・・。夏は大変栄えているということです。本場の中華料理はおいしかったです!食べ慣れないうえに脂っこいと聞いていたので心配していたのですが、胃腸はまったく問題なしでした。私が丈夫すぎるのか…。北京ダックめちゃくちゃおいしかったです!!オススメです!!

 あとは故宮博物院や天安門広場、北京動物園でパンダも見ました。パンダ茶色い…日本のパンダのほうがきれいでした。しかし11月の北京は寒かったです・・・最高気温が12〜16度、最低気温は5度くらいでした。日中も気温は高くても、風邪が非常に冷たかったです!帰ってきて風邪はひきませんでしたが・・・やはり私が丈夫すぎるのか・・・。これから北京はもっと寒くなりますね。ご旅行をお考えの方は、防寒対策をしっかりするか、日程をもう少し後にしたほうがいいかもしれないです。観光盛りだくさん、仕事も盛りだくさんのツアーしたが、楽しかったですし、大変勉強になりました!今度は仕事抜きで行きたいですね。

December 22, 2006

美人でオタクなフランス人オリアーヌさん☆

11月15日にフランス人学生のオリアーヌさんが穂谷学舎まで遊びにきてくれました! 彼女はパリのとっても頭のよい大学に通っているのですが、ただいまインターンシップという形で、約20人位のフランス人学生たちと一緒に日本にきています。今はみんなそれぞれ日本各地の企業や団体の中でインターンシップをしていますが、初めの何週間は枚方市で市役所のスタッフの協力のもと、日本語を勉強していました。

そこでっ!フランス語コースを有する私たち関西外大(国際言語学部)にも、お手伝いのお声がかかったのです☆ 今年の7月には彼らと一緒に奈良に遠足に行ったり(みんなマイペースで全然収集つかなかったけど…笑)、大阪府庁を訪問したり(この日のために頭上には大きなフランスの国旗が掲げられ、プロのカメラマンも来てました!!)、みんなでパーッとカラオケに行ったり(やっぱり本場の“シャンソン”はステキっ☆)しました。日本にいて、フランス人と遭遇する機会などそう簡単にはないので、20人ものフランス人学生と一緒に思い出をつくることができるなんて、かなり貴重な体験です☆ これはやっぱり外大の強みかなっ♪

そんなわけで、枚方市文化国際財団にてインターンシップ中のオリアーヌさんは、わざわざ穂谷学舎まで足を運んでくれたというわけです。フランス人学生、または学生生活とはどんなものか、日本と比較しながら、フランス語と日本語で私たちにわかりやすく教えてくれました。あと彼女は日本のアニメが大好きだそうで、オタクの聖地、秋葉原もすでに訪れていて、自分のことを“私はオタクです”と言っていました(笑)。フランスでは“マンガ”同様、“オタク”という言葉もそのまま名詞として使われているそうですよ! 恐るべし、秋葉発オタク文化!…ちなみに彼女のカラオケの十八番はエヴァンゲリオンらしいです(笑)。

December 21, 2006

皆さんに問題です!

皆さん、こんにちは! 早いもので第1回投稿から早くも1ヶ月です。友人の結婚式に出席したり、大使館対抗のフットサルの応援に行ったり、イベント盛り沢山の1ヶ月でした。仕事がら周りは外国人が多く、イベントも国際色豊かです。
友人の結婚式では、なんと15カ国の人達が世界中から集まり、厳かな神前結婚式に参列。披露宴では、日本の獅子舞や餅つきを披露し、大好評でした。
フットサルでは、26カ国、総勢250名がプレーしました。プレーの仕方にもそれぞれのお国柄が出てて、とても面白かったです。残念ながら、当大使館チームは惜しくも予選で敗退しました。優勝は、やはりサッカー大国ブラジルでした。毎年恒例の行事ですので、興味のある方は、来年是非応援に行ってみてください!
私はもともと“人”を観察するのがとても好きなので、色んな国の人が集まる場所に行くと、「異文化観察」を即始めてしまいます。この異文化に対する興味が、私の国際交流の一つの柱になっていると思われます。何事も興味があってこそ初めて、身になると思うんです。外国語を習得するのにも、この未知な世界に対する興味があるかないかで、大きな違いが出て来ると思います。
スペイン、メキシコ、中南米諸国では、同じスペイン語が話されているのですが、それぞれの国で言い回し、イントネーションが違ったりで、慣れてくると、会話を聞いたり、容姿によって、どこの国の人かだいたい想像がついたりします。

さて、皆さんに問題です!
この下の写真の人達の国籍当てをしてみませんか? (投稿者も入っています) 本国での研修でワイナリーを訪問した時の写真です。ちょっと難しいクイズかな?

(1)韓国 (2)マレーシア (3)日本 (4)ベネズエラ (5)スペイン (6)フランス (7)コスタリカ (8)チリ




答え
後列 左より(4)(2)(3)(6)(7)  前列 左より(5)(1)(8)