こんにちは!
英米語学科 2006年度卒業生、清成佳苗です
春になり、あたしもとうとう社会人4年目に突入しました。
駅では、新しいスーツを着た新入社員と思われる集団をよく見かけるようになりました。
就活・・・懐かしいなぁ。。
大学4回生の1月まで、就職先が決まっていなかったあたし。
やりたいことはあるけど、地元を離れたくない、そんな思いを抱えながら、就活に取り組んでました。
自分では一生懸命活動していたつもりやったけど、今振り返ると中途半端な思いで、ほんとになんとなく企業を選んでたんちゃうかなぁ・・と思います。
銀行・メーカー・商社・物流。
並べてみても、やっぱり統一感がない。ですよねッッ。
思いも中途半端なだけに、面接での受け答えもあいまい。
自分がどれだけその会社に必要なのかなんて考えられんし、
それがわかってないから、書類でも面接でもアピールなんてできない。
でも、受けていかな決まらへんし
という、まさに、宝くじ買わなあたらへんし的感覚。
みんながどんどん内定をもらうなか、そんな自分はもちろん、どこからももらえない。
もらえてもよくよく考えるとその会社に通う自分が想像できない。
自分だけ未来の道が定まっていない不安、
未来の道を決められない自分への苛立ち、焦り、
笑ってても心のどこかで将来への不安。
周りからは心配の目。
こんなはずじゃない。
こんなの自分じゃない。
・・・
気づいたら夏。
「ピン」とくる企業が出てくるまで、待とう!
ということで、事実上の就活放棄へ。
就活せなアカンし、と4年ぶりに似合わない真っ黒にした髪の毛とも、バイバイ。
というのも、なくなってくるんです、求人が。
どんどん来年度の情報に更新されてくんです、その頃には。
周りからも、就活情報サイトからも取り残されていって、自分だけできない子だと言われているようで考えるのがイヤになったんです。
やから、活動していて決まらないではなく、活動していないから決まらない、という立場に自分を持っていきたかった。
自分がほんまに働きたい!と思える会社が出てくるまで動かない、ことに決めました。
そのころから、ちょくちょく大学のキャリアセンターに寄るようになりました。
大学に届いた求人情報を見に。
それまでは気づいてなかったけど、実は大学の求人情報には地元企業が多かったんです。あたしの地元の近く岸和田や泉佐野からの求人もありました。
しかも、大学宛てに届いた求人やから、企業の求めている人材は外大生。
これこそ、地元で働けてさらに外大で学んだことを生かせる企業を見つけられる、自分に最適のツールやん!
と、気付いたのが、4回の夏。
それからしばらくして、冬、とある大学の事務員募集の求人を見つけました。
これから国際化にもっと力を入れていこうという大学。地元から近い。求人は事務。
-事務やから結婚しても働けそう。
-地元やから通いやすいし
-外大で得た留学の知識、留学システム、生かせそうやし、
-留学生のサポートもできる、留学したい学生の力にもなれる、
「ここで働きたい!!!!」 と初めて強く思いました。
そうすると、応募に向けて、
「受かるための書類を作りたい」という気持ちが、これまた初めて芽生えたんです。
でも、ほんまに受かる・ウケる書類はなんや?というのが全くわからない。
(゜o゜)!!!
そこで気づく。
・・・キャリアセンターの人は、外大の事務職員で、大学の職員として何を求められてるのか知ってるはず。しかもその大学職員による面接を通り抜けてきたツワモノ・先輩。最高のアドバイザーが近くにいるやん!!!
で、たまたまキャリアセンターで声をかけてくれた職員の方に思い切って質問して、いろいろ教えてもらい、これが自分の精一杯という書類をなんとか作成・提出することができたんです。
そして無事、筆記試験へ。
その大学へ足を運び、会場に入ってみると、大学職員の方・試験を受けに来た学生、全員が髪の毛が真っ黒で、雰囲気もどこかしら暗い・・・?
この職員さんたち・同僚となるかもしれない学生たち、とあたしはやっていけるのか???と自問自答。
すんごくヤル気満々やったあたしは、
「いや、この雰囲気を変えるためにあたしは来たんや!」と、なぜかスーパー思い上がりのプラス思考。
それが良かったのかなんなのか、筆記試験と1次面接をなんとかクリア。
次のグループ面接も、自分は出来るというどこから湧いたかわからない自信で、「タイムキーパー」という役割をきっちり果たし、見事クリア。
なんと、
初めて全力で取り組んだ就活で、
ついに、あたしは最終面接までたどり着いてしまいました。
(長すぎるので次回へつづく・・・)