IRI言語・文化研究フォーラム 坂本信幸氏が「万葉集の魅力 雪の日の贈答歌」と題し講演

 国際文化研究所(IRI)の第6回IRI言語・文化研究フォーラム記念講演が2月13日、中宮キャンパス・ICCホールで開かれ、坂本信幸・高岡市万葉歴史館館長(奈良女子大学名誉教授)が「万葉の魅力 雪の日の贈答歌」と題して話しました。記念講演は公開講座として開催され、教職員のほか、市民らも参加しました。


▲歌が映し出された会場

 贈答歌は、二人(多くは男女)が意中を述べ合ってやりとりする歌。坂本氏は、「万葉集」巻2・103、104の天武天皇と妻の藤原夫人(ぶにん)の次の贈答歌を取り上げました。

 天武天皇 我が里に 大雪降れり 大原(おおはら)の 古(ふ)りにし里に 降らまくは後(のち)(わが里に大雪が降ったよ。君のいる大原の古びた里に降るのはもっと後だろう)

 藤原夫人 我が岡の 靇(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の摧(くだ)けし そこに散りけむ(わたしの住む岡の水の神に言いつけて降らせた雪のくだけたのが、そちらに散っていったのでしょう)

 坂本氏はこの2首をめぐり、「古りにし里」はどういう里か、「雪の摧(くだ)けし」の「し」は過去の助動詞か強意の助詞か、「大雪」に特別な意味があるのか、この贈答歌はどういう状況で詠まれたのか、などいくつかの問題点を挙げ、複数の研究者の見解を紹介しながら解説していきました。


▲坂本信幸・高岡市万葉歴史館館長

 「古りにし里」については、作者がかつて通い住んだところであるため、あるいは、住む人も少ない土地を諧謔の意を込めて詠んだなどの解釈があるなか、天皇が造営したばかりの宮殿(明日浄御原宮=あすかきよみはらのみや)を意識し、「古りにし里」に対し、「我が里」が誇らかにうたわれたことが強調されました。

 「大雪」に関しては、雪を美的にとらえる現代人の感覚を当時に重ね合わせることには疑問があるとして、雪を「瑞兆」ととらえたとする見方が紹介されました。天武天皇は672年の壬申の乱に勝利し即位しますが、歌が詠まれたのは即位の数年後と見られ、「天武は満ち足りて飛鳥の雪をみている」との研究者の見解が引用されました。また、大雪を瑞兆とする見方は漢籍の中に例があり、当時の人々はそうした教養があったと指摘されました。


▲熱心に耳を傾ける聴衆

 詠まれた状況について、『万葉集全注』という書物には「若くて美しい夫人(ぶにん)が大原の生家にいて、浄御原の宮にのぼらないのを、雪も降って面白い宮へ参ることを諧謔を交えながら促しての御歌かもしれない」と記されています。

 会場には、飛鳥の雪景色や声優らが歌を詠む画像も流され、イメージをつかみやすくする工夫がなされました。
 
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