私たちは「可哀そう」だったのか/コロナ禍の4年間を振り返る/外国語学部英米語学科4年 福本涼巴さん

※関西外大通信「THE GAIDAI」316号の記事に加筆し、再編集しました

2020年に入学した大学生は
高校生の頃に憧れていた
いわゆるキャンパスライフの2年近くを
新型コロナウイルスに奪われました。

ほとんど停滞していたような
しかしそれでいて目まぐるしい4年間でした。

私たちはコロナによって
「本来あるべき何か」を失ったのでしょうか。

私たちは「可哀そう」だったのでしょうか。

卒業を控えた今
学生生活を振り返ってみたいと思います。




■終わり見えず、心が折れ

 コロナ禍は、私たちの入学とほぼ同時に襲いかかってきました。入学式はなく、大学からの入学のお祝いは書面のみ。大学生としての自覚も希望も薄いまま、初めての履修登録をしました。

 その時は大学について分からないことだらけでしたが、大学側は未知の状況に必死に対応しているようでした。当時、コロナの正体も対策も、危険度さえも明らかになっていませんでした。

 私は家族と相談し、大学の近くに部屋を借りました。「いつかは収束するだろう」と期待しての選択でした。しかし、予想以上のスピードで感染者は増え、引っ越しのタイミングを計りながら実家でオンライン授業を受け続けていました。

 オンライン授業は正直、想像以上に辛いものでした。

 ――右も左も分からないまま日々積み上がる課題。

 ――授業が終わればZoomの接続と共に切れてしまう友人とのつながり。

 終わりの見えない通信教育のような毎日に心が折れてしまい、2週間で授業に出なくなりました。

 「いつまでこのままなのだろう」とパソコンを開くたびに考えていたことを覚えています。


▲実家の近くのカフェのお気に入りのセットメニュー。遠出ができなかったので気晴らしに出掛けていました


▲愛犬の〝けんしろう〟コロナ禍の生活をいつも癒してくれました

■アルバイト、そして現代短歌

 閉塞感にうんざりした私は、入学から数カ月後にアルバイトを始めました。コロナ禍でも需要がなくならず、加えて人と多く関わることができるものを探した結果、選んだのは塾講師でした。

 同世代の講師と関わる機会が増え、「生徒たちの成績が上がった」という喜びの声が、家から出られない精神的な負荷を軽くしてくれました。

 しかし相変わらずオンライン授業の終わりは見えず、ついに借りていた部屋の契約を打ち切りました。借りていた半年間、一度も足を踏み入れることはありませんでした。

 ただ、その頃からようやくオンライン授業が続く生活に慣れ、気持ちが前向きになってきました。オンライン授業から個人的に連絡を取り合う友人も少しずつ増えていきました。

 私はもともと知的好奇心が旺盛でした。身近な学びの機会が増え、学習のハードルが下がったような感覚を持ちました。

 持て余した時間とエネルギーを、趣味の現代短歌に費やすようになっていました。多くの人の作品に触れたり、毎日一首つくったりする時間があったおかげで、インターネット上で賞をいただくこともありました。

 自分の生活は自ら豊かにしていくことがとても重要です。長い自粛生活を通して学ぶことができました。



■果てしなく遠かった理想の日常

 入学から1年と少し経ち、登校が近い未来に実現するかもしれないという期待を抱き始めたとき、初めて学生生活が自分のものになるのだという気持ちになりました。私が抱いていたのは、「キャンパスでの授業後に友人と一緒に昼食をとりながら課題の相談をする」というような何気ない日常でした。

 入試から1年以上、自分たちのキャンパスに入ることさえできなかったのです。果てしなく遠かった理想の日常が実現したのは、入学から実に1年以上も経ってからでした。


▲外大の友人と出掛けた和歌山県田辺市の天神崎(2021年夏)


▲高校時代の友人と出掛けた三重県の志摩スペイン村(2021年夏)

■人とのつながり、時間の大切さ

 オンライン授業の期間を振り返るとほとんどがネガティブな思い出になります。

 私たちは本当に「可哀そう」だったのでしょうか。

 反対に得たものはなかったのでしょうか。

 何よりも、「人とのつながりと時間がいかに貴重なものであるか」を学べたことが一番大きなことでした。

 会えない期間が長かっただけ、初めて大学の友人と遊んだときの感動は、言葉では表すことができないぐらい大きいものでした。今までの我慢を晴らすかのように友人と楽しい時間を過ごしました。

 先生と同じ空間で授業を受けることができる楽しみと喜びもとても大きかったです。授業後に気軽に質問ができました。詳しい話が聞きたい時は研究室を訪ねることができました。そのときの感動は未だに私の心の中に残っています。

 キャンパスに入ることができず家で過ごした1年半ほどが、貴重な大学生活で大きな割合を占めてしまいました。私と同じ学年の人たちは今、より一層、痛感しているのではないでしょうか。

 しかしそのような思いがあるからこそ私は、「残りの学生生活を全力で楽しもう」「思い出深いものにしよう」と受け止めました。この4年間で人とのつながりや時間の大切さを実感し、人生を豊かにするには自ら行動を起こさなければならないことを身をもって学びました。



■「可哀そうだった」わけではない

 私は卒業後、一般企業の営業職に就職します。多くの人と関わる仕事に携わっていくために、この4年間の学びと経験を大事にしていきたいと思っています。

 「あなたたちは可哀そうな世代だね」としばしば言われます。しかし、そのような言葉で片付けるのではなく、コロナ禍の制約された生活の中でどのように前を向いてきたかを見て欲しいと思います。

 この4年間でさまざまな経験をし、さまざまな人たちと出会いました。全てが今までの積み重ねによって手に入れたものです。誇りに思っています。

 私は、人生で最大になるかもしれないピンチを大きなチャンスにすることができました。決して「本来あるべき何かを失った」わけではなく、「可哀そうだった」わけでもありません。

 そのような想いを胸に、そして学生生活の中で出会った全ての方に感謝をしながら、卒業の日を迎えたいと思います。




 
一覧を見る