イベロ研 連続公開講座「新大陸からの贈物 」 第1回のテーマはジャガイモ 歴史を動かした作物

 本学イベロアメリカ研究センターが主催する2018年連続公開講座「新大陸からの贈物―カカオ、ジャガイモ、トマトの文化論―」で、第1回の講座が11月6日、中宮キャンパスのマルチメディアホールで行われ、41人の一般市民や学生の聴衆が熱心に耳を傾けました。
 この日の講座は本学外国語学部の加藤隆浩教授が講師。「これがジャガイモですか?」をテーマに行われました。
 加藤教授はアンデスで祈祷師の修行をした際、教えを受けた師から贈られた民族衣装の正装姿で登壇。衣裳について「研究を始めたときの初心を忘れないために」と説明しました。その上で「モノを通して歴史を眺めてみると、違った角度から世界が見える。その切り口が今回はジャガイモです」と述べて講義をスタートしました。


▲アンデスの民族衣装で講義を行う加藤隆浩教授

 ジャガイモは南米原産で、標高3500メートル前後のアンデスの高地で生産されています。ジャガイモは、高い生産性、高地生まれ由来で寒冷に強く、痩せた土地でも収穫できるという利点の半面、苦く毒がある▽長期の保存ができない▽重い―という「三重苦」が致命的な欠点だったといいます。
 加藤教授は「偶然の出来事だったと考えられる」として、アンデス人が問題を一挙に解決した方法を解説しました。アンデスの高地では、ジャガイモの収穫後となる南半球の秋から冬にかけて、アンデス高地の夜間と日中の温度差は非常に大きくなります。ジャガイモは夜に芯まで凍り、日中に溶けることを繰り返し、内部から水分が絞り出され、苦味と毒素のもとの物質が流れ出てしまいます。自然のフリーズドライというべき方法で、苦味と毒素を取り、水分を抜いて保存しやすく軽い食材に変え、三重苦を解消したのです。



▲寒暖差でフリーズドライされたジャガイモを聴講者に示す加藤教授(上)。白いものは皮を剥いて、色の濃いものは皮のままフリーズドライされました(下)

 転機が訪れたのは16世紀前半。スペイン人の中南米侵略が始まりました。同時に南米の物産が欧州に紹介されました。ジャガイモは欧州で当初、食物としてではなく、観賞用の花として知られていました。17世紀、キリスト教新旧両派の間で30年間に渡ってドイツで行われた戦争を契機に、ジャガイモは地中に出来ることから荒らされにくく、栽培しやすいことで注目を集めます。やがて生産量は小麦等をしのぐようになり、飢饉では多くの生命を救います。

▲スクリーンに映ったジャガイモの花

 しかし、欧州でのジャガイモへの過剰な依存のなかで19世紀半ばに起きたジャガイモの疫病の蔓延は、アイルランドで100万人といわれる餓死者を出します。アイルランドでは、200万人が国外に出て、多くの人がアメリカに移住しました。後に第35代米国大統領を出すケネディ家もその中に含まれています。
 「ジャガイモがなければ、ケネディ大統領はおらず、さらに言えば人類は月に行かなかったかもしれません。このようにモノを通して歴史をみると、いろんなことがつながって新しい見方ができます」と講義を締めくくりました。


▲司会の林美智代教授

 最後の質疑応答では、身近な食物だけに聴講者の関心が高く、質問が相次ぎました。
 「ジャガイモはいつ日本に来たのですか。また、名前の由来は何でしょう」との質問に加藤教授は、「ジャガイモが日本に来たのは、江戸幕府ができる少し前の16世紀終盤だとされています。記録に残っていないながら、その前にザビエルらが持ってきた可能性もあります。名前の由来には諸説あります。ジャガイモを日本にもたらしたのがインドネシアに拠点を置いていたオランダ人で、そこからジャワ島、ジャガタラ(ジャカルタの古称)のジャガをイモの頭に付けたとも言われています」と答えていました。
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