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≪外大人≫ 南匡晴さん(ダイキン工業 役員待遇秘書室長、外国語学部1990年卒)/人生は一期一会、自らの可能性を信じ、人の可能性を信じる
南さんは、1967年に和歌山市で生まれました。1990年9月に関西外国語大学外国語学部英米語学科を卒業し、ダイキン工業に入社。1997年1月から秘書室に勤務し、秘書担当課長、秘書担当部長などを経て、2021年7月から現職を務めています。
■人の可能性を信じ、成長させてくれる企業
170カ国以上で事業を展開、4兆円を超える売り上げを誇る空調機器メーカーのダイキン工業。秘書室が担当する役員は、井上礼之名誉会長、十河政則会長、竹中直文社長をはじめ18人に上り、担当役員を含めて28人で業務をサポートします。
ダイキングループは6項目の理念を掲げています。そのうちの一つにある「人を基軸におく経営」という言葉に深く共感しています。言葉はこう続きます。「挑戦するチャンスにあふれ、社員が挑戦・成長し続けられる環境を提供する」
「スピードはまちまち。でも、人は必ず成長します」。入社以来、こう信じて業務に取り組み、部下を持つようになってからは、その思いが一層強くなりました。
▲自席で。台湾・和泰興業から受けた感謝状のプレートも
入社直後、国際営業本部(当時)営業部に配属されました。「英語を使って仕事がしたい」という希望にかなった職場で、アジアやヨーロッパを中心とした営業活動を担当しました。1992年には子会社の大阪ダイキン空調を通して大阪ナショナル電工に2次店出向となり、大阪府内にある200の店舗で個人客とのやり取りも経験しました。「この時期に、人とのつながりの大切さを学びました」といいます。
その後、国際営業本部の営業部に戻り、台湾市場を担当しました。現地で専売契約を結ぶ和泰興業を中心に毎月台湾に赴き、市場開拓や現地営業マンの育成に注力し、周囲も自分も「次の異動で台湾駐在」と思っていました。そんなとき、突然、秘書室への勤務を命じられました。「営業マンとしてもっと仕事ができるという思いもあり、まさに青天の霹靂(へきれき)でした」と振り返ります。
■人を基軸に据えた独自のホスピタリティ
▲秘書室の皆さんと
1997年1月、秘書室勤務になりました。それまで、秘書の仕事といえば、役員のスケジュール管理や外出先の随行ぐらいしか、想像がつきませんでした。しかし、実態は大きく異なっていました。
国内ばかりでなく、海外も含めた出張同行はもとより、経営関係も含めた日々の報告書の作成など役員の業務サポートなどは、まさにルーティンワークでした。
意外なところでは、毎年開催している女子プロゴルフトーナメントの開幕戦「ダイキンオーキッド」や、所有施設でのコンサートをはじめ、在版工場や製作所で、日本を代表する財界関係のお客様を招いて開く盆踊り大会などのイベントの企画・運営も業務の一つです。
驚かされるのは、これらのイベントは社員の手作りということです。社員は率先してイベントに参加することで、自分の成長につながっていると感じており、「ダイキン工業には他社にはない、独自のホスピタリティ精神があります」といいます。
社内だけでなく、社外の人たちとも広くコミュニケーションをとり、ともに前に進みます。「社内は、まさしく人を基軸にという気風が満ち溢れています」と笑顔を見せます。
▲出張の合間に訪れたトルコ・カッパドキアで(2012年)
まもなく、秘書室勤務は28年になります。関西だけではなく、在京の企業も含め、多くの他社の秘書とも親しくなりました。そんな秘書仲間から「秘書らしくない秘書」といわれることがあります。役員にも遠慮なく意見をいい、他社の秘書にも気さくに話しかける。そんな姿を見ての評価かもと、推測しながら「秘書というと、内向きのイメージを持たれがち。でも、外向きに自らチャレンジしなければ視野は広がりません」と考えています。
社会人として重要なことは、「信頼」と言い切ります。「信頼を得るためには、誠実に努力を続け、約束を守ることが大切」とし「まず、元気よくあいさつすること」。自身の経験から「明るく、楽しく、元気よく、かつ信頼される人の周りには、自然に人が集まる」と信じています。
■一度きりの人生、ぜひチャレンジを
英語が好きで関西外大へ入学、1989年9月から90年5月、米国・ペンシルバニア州立大学に留学しました。授業がある平日は、「人生で一番」と言えるほど勉強しました。週末は、学生寮のルームメイトのクリス・サムさんとともに、パーティーに参加したり、アイスホッケーを観戦したり、米国生活を謳歌しました。
サムさんとは、今でも連絡を取り合う仲です。最近は、大谷翔平選手を擁するロサンゼルス・ドジャースが出場したワールドシリーズの最中に「Watching Otani? (大谷を見ているかい?)」とLINEが入りました。
▲右から2人目が米国留学中のルームメイトのサムさん(1989年)
留学からの帰国後、すぐに就活を進め、最初に内定を受けたダイキン工業に9月に入社しました。就活には、不思議と焦りはありませんでした。入社が遅れたからといって、その後のキャリアパスに不都合はありませんでした。
最後に、後輩たちへの言葉を問われ、こう答えました。
「機会があれば、ぜひ留学を体験してほしい。一度きりの人生、成功を信じてチャレンジを」