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概要

外大通信デジタルブック

[13]THE GAIDAI 2015年(平成27年)7月13日第279号Campus Life関西外大の最新ニュースはホームページにも掲載していますhttp://www.kansaigaidai.ac.jp/日本語の自然な会話めざし「ね」と「よ」の働き解きほぐす│キャンパスではどのような授業をされていますか?西郷留学生別科で主として交換留学生に日本語を教えています。外国語学部で日本語学も担当しています。日本語学習者の観点から日本語を客観的に考察するようにしています。│5月発行の「談話とプロフィシェンシー」(にほんごの凡人社刊)の中に執筆された「プロフィシェンシーと『ね』『よ』」というテーマは、ふだんの日本語会話の文末に頻繁に現れる「ね」と「よ」です。「今日は天気がいいね」「たくさん人が来たよ」のように使っています。「ね」と「よ」はどう違うのですか?西郷非常に難しい質問です。プロフィシェンシーは学習している言語の熟達度という意味です。日本語教科書の一般的な説明ですと、「ね」は話し手と聞き手が同じ情報や考えを共有している場合に使われると書かれています。天気の場合、その空間の天気は分かりきっているので、「ね」を使いましょう、ということです。しかし、子供が母親に「ちょっとコンビニにいってくるね」という場合、母親は必ずしも事前に知っているとは限りません。│「よ」はどうでしょうか?西郷「よ」は反対に話し手と聞き手の情報や考えが異なる場合、あるいは聞き手が知らない情報を伝える場合に使うと説明されています。「お前の考え方は間違っているよ」とか、「あ、財布が落ちましたよ」などです。│もう少し例示をお願いします。西郷卒業する先輩に密かな想いを女性が告白する場面を想像してください。「先輩、ずっと好きでした」と「先輩、ずっと好きでしたよ」はどちらが自然ですか。先輩が知らない情報なのに、前者の方が自然に聞こえる人も多いのではないでしょうか。│微妙な感覚です。西郷天気のよい日曜の朝、テレビばかり見ている父親に子供が「ねえねえお父さん、今日は天気がいいよ」と言うこともあります。二人とも明らかに天気がいいと分かっていても、です。│一筋縄ではいきませんね。日常の日本語会話には欠かせませんが、私たちは無意識に使い分けています。この研究テーマはどこで着眼されたのでしょう?西郷私が面白いと思う点はそこです。私たち日本語母語話者は無意識に「ね」と「よ」を自然に使い分けています。それも頻繁に。標準語でこの二つなしの会話はすぐに破綻します。問題は、多くの研究者が「ね」と「よ」の働きに取り組んでいますが、みんなが納得いく答えが出ていないことです。│用法が多様なんですか?西郷日本語を学ぶ外国人はなかなか「ね」と「よ」を自然に使えるようになりません。逆に使えるようになれば、一気に日本語の自然さが上がるのでないかと考えました。そこで日本語学習者の観点から分かりやすく説明したいと思い、博士論文のテーマにしたのがきっかけです。│「ね」と「よ」は使い方によって、なれなれしく聞こえたりします。注意すべき点ですね?西郷まさにその通り。使い方を一歩誤ると、単に文法の間違いではなく、その人の性格や人間性に結びつけられます。日本語教育者としては、学習者が意図しない印象を相手に与えないように指導していくことも大切です。│「ね」と「よ」には、会話における相互作用や発話連鎖効力があると指摘されています。西郷「よ」には話の流れを一歩進める働きがあり、反対に「ね」は流れを進めない(現状を維持する)働きがあると分かってきました。先の父子の会話では「お父さん、天気いいよ」という子供は「お、そうだな、どっか遊びに行くか」などという父の返答を期待していた。「天気いいね」だと、そこまでは見込まず、単に相手に同意してほしいという意図と見られます。│今後の研究の方向性や展望は?西郷一文レベルから、いくつかの文がまとまった談話レベルで日本語を考察したいと考えています。科研費が認められていますので、「ね」と「よ」の研究は続けますが、他大学の教員と共同で二つのプロジェクトを進めています。ひとつは、「ね」と「よ」のほかに「?かな」「?でしょ」なども含めた会話の末尾の言語形式の修得に特化した教材開発。もうひとつは「雑談力」を育成する教材開発です。留学生は、特に目的のない雑談が難しいとよく言います。われわれの英語も同じ。気まずい沈黙。あれは恐怖です。│経済学部の出身ですが、今の研究はどのような経緯で?西郷学生のときに、本学でいうスピーキングパートナーみたいな留学生のお手伝い役をして、日本語教育を知りました。いったん会社に就職しましたが、日本語教師の夢を忘れられず、2か月で飛び出しました。中途半端な生き方をしたくなかった。そこからは山あり谷あり。でも、日本語を教える仕事をあきらめようと思ったことは不思議と一度もありません。│日本の学生と外国の学生(留学生)を見て気づいた点は?西郷表面的には文化的な違いがあっても、その下は同じ人間だと思います。北九州市出身。立命館大学経済学部経済学科卒。英エセックス大で修士号(社会言語学)、英ダラム大でPhD(言語学)取得。1996年南山大留学生別科非常勤講師、99年ダラム大・東洋学部語学講師、04年関西外大外国語学部・留学生別科専任講師、06年から現職。プロフィル研究室から外国語学部外国語学部西郷英樹准教授西郷英樹准教授Vol. 36Vol. 36Vol. 36Vol. 36習者の立場から客観的に日本語を考える学話に頻繁に現れる無意識に使い分け会尾の会話形式の修得と雑談力育成の教材開発も末・・さいごうひできイギリスの劇団「インターナショナル・シアター・カンパニー・ロンドン(ITCL)」による英語劇「ヴェニスの商人」が5月21日、中宮キャンパスの谷本記念講堂で上演された=写真。国際文化研究所主催の公開講座で、一般市民や本学の学生、教職員、留学生ら約800人が日本語字幕付きの舞台を鑑賞。中世イタリアを舞台にした有名なシェイクスピアの喜劇を楽しんだ。「ヴェニスの商人」は、中世イタリアのヴェネツィア共和国と架空の都市ベルモントを舞台に繰り広げられる商取引と恋の喜劇。ベルモントの貴婦人・ポーシャの心を射止めようとする若者・バッサーニオのストーリーと、彼のためにユダヤ人の金貸し・シャイロックから大金を借りた商人・アントーニオの話を2本柱にした筋立てとなっている。アントーニオは金を借りる際、自分の胸の肉1ポンドを担保にしており、返せなくなって法廷で裁かれる「人肉裁判」でのやり取りがヤマ場だ。有利だったシャイロックが一転して窮地に陥るどんでん返しなど、胸のすく展開に、観客は舞台から目を離せない様子だった。舞台装置は移動可能で、照明や位置によって最大の効果を引き出すITCL独特の演出も光った。ヴ?ニスの商人英ITCL上演「コーヒー生産者の現状と未来はどうなる」――。イベロアメリカ研究センター主催の公開講座「ワイナリー化するコーヒーがもたらす富の分配」が6月17日、中宮キャンパスICC教室で開かれた。講師は、田代珈琲株式会社(本社・東大阪市)の田代和弘社長=写真。参加した市民や学生、教員ら約60人全員に、鮮度にこだわったコーヒーが振る舞われ、心地よい香りを楽しみながらコーヒービジネス最前線を聞いた。同社は、創業82年。田代社長は3代目。世界最高峰のコーヒー品評会「カップ・オブ・エクセレンス」の国際審査員でもある。講演は、同社広域営業部に所属する本学スペイン語学科卒業の加藤晃子さんとの縁で実現した。冒頭、加藤さんが紹介され、「就職したものの、コーヒーのことは全く知らず、ゼロからのスタート。こんな美味しいものがあるんだと、毎日が学ぶことばかりです」とあいさつした。講演で田代社長は、コーヒーのワイナリー化について「ワインは農園から運び込まれたブドウが醸造され、資格を持ったソムリエが選ぶ。コーヒー豆もほぼ同様の過程で世界に出回り、ソムリエの役割をバリスタが行い抽出する。コーヒーの世界はますます高度化し、ワイナリー化で高品質なコーヒーが生まれる」と説明。「付加価値化すれば、もっと美味しくなる」と話した。生産者から直接買い付けるダイレクトトレードについて「大きなリスクはあるが、価値のあるコーヒーが手に入る」とした。最後に「富の分配とは『感動と笑顔』が消費国にも生産国にも対等にある状態」であると結んだ。参加者からは次々に質問があり、田代社長は「私のゴールは、お客さまに感動してもらうこと」と話し、終了後に「話によく食いついてもらった。大変話しやすかった」と感想を述べた。コーヒーの富対等にイベロA研公開講座田代社長語る生産国消費国感動と笑顔国文研主催