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概要

外大通信デジタルブック

THE GAIDAI 2016年(平成28年)7月29日 第285号[ 10]関西外大の最新ニュースはホームページにも掲載しています http://www.kansaigaidai.ac.jp/ Course Evaluation授業の開始時間と終了時間10授業を充実させる手立て11設問「この授業の開始時間および終了時間は守られていた」(問Ⅲ|6) この設問は、授業開始から終了までの時間が最大限に活用されているかどうかに関するものである。 この設問については、「強くそう思う」「そう思う」という回答は、英語キャリア学部では、春約90%、秋約86% 外国語学部では、春約91%、秋約92%、英語国際学部・国際言語学部では、春約91%、秋約92%、短期大学部では、春・秋ともに約92%、留学生別科では、春約95%、秋約94%になっている。授業開始から終了までの時間を最大限に活用している場合が大部分であると推測できる。設問「授業を充実させるための手立てがなされていた(該当する項目はすべて選択すること)」(設問Ⅲ|7) この設問では、教員が学生に対し、授業内容の理解を深めてもらうよう様々な工夫を行っているかを確認できる。授業の内容や形態によって利用できる手立ては異なるが、教員が様々な形で授業に適した工夫を行っていることが理解できるであろう。英語キャリア 外国語 英国・国言 短期大学 留学生別科授業開始と終了時間は守られていた表11 設問Ⅲ-6(数値は%)■春学期 ■秋学期0102030405060708090100 908691 92 91 92 92 92 95 94 この設問は、対象となった「手立て」から選択する(複数回答可能)形式となっている。対象項目は、「到達目標・学習内容の明確化」「成績評価基準の明確化」「適切なテキスト・教材」「適量かつ適切な配布資料」「適量かつ適切なレポート・宿題・小テスト」「わかりやすく整理された板書」「視聴覚教材・機器等の効果的な使用」「学生の発言や意見を引き出そうとする試み(質疑応答、話し合い、発表等)」「『やる気』を引き出すための学生に対する激励のことば掛け」「私語、スマホ等への適切な対応など、学習にふさわしい環境づくり」となっている。 まず、年間を通して全学的に多く挙げられていた「手立て」を挙げてみると、①「到達目標・学習内容の明確化」 ②「適切なテキスト・教材」 ③「成績評価基準の明確化」が比較的上位に挙げられていた。①は回答の40%から50%前後、②③は約40%の回答で挙がっていた。ただし留学生別科では、①②とも70%ほど、③も60%近い回答で挙がっていた。 逆に、挙げられる割合が比較的少なかったものは、①「私語、スマホ等への適切な対応など、学習にふさわしい環境づくり」で回答の約15%(留学生別科では約40%)、②「『やる気』を引き出すための学生に対する激励のことば掛け」、そして③「わかりやすく整理された板書」各20%前後(留学生別科では約60%)の回答で選択されている。あとの項目は、選択された割合が、大体これら6項目の間に位置していた。 また、視聴覚教材をはじめとする機器類については、今後技術の進歩によって様々なものが考案されてくるだろうが、授業はその内容そのものの学修が目的であり、道具はあくまでもそれを円滑に進めるための補完的なものであって多用が目的ではない。この点を踏まえながらも、円滑な授業展開に役立つと思えるものは積極的な採用が望まれよう。 以上が2015(平成27)年度の授業評価の結果の大まかな傾向となるが、今後とも教員と学生が協力しつつ、さらに良い授業へ向かって不断の努力を続けていきたいものである。 学びは終わりのない航海であり、授業は、永遠の課題である。「何を授業のねらいとするか」、「テキストとして何を選ぶか」、「時間配分をどうするか」、「どのような発問をするか」、「いかに予習・復習を課すか」、「今日の授業はどこにポイントを置くのか(授業の「ヤマ」は何にするか)」、「いかにして学生を集中させるか」など、授業には多くの要因がからんでいる。授業は一筋縄ではいかない。 しかし、いかに多くの要因がからんでいようとも、授業の善し悪しにとって最も重要なものは、教員の側の「準備」であり、学生の側の「予習・復習」ではなかろうか。「準備」や「予習・復習」をしている最中に、関連する事柄がひらめいたり、参考文献に思い当たったり、疑問が湧いたりするものである。 問題意識を持ち、意欲的で、自律的な学習習慣を身に付けている学生は、教員の側に、質が高く、勉学意欲をかき立ててくれるような授業を求めている。与えられた解答を暗記することに終始するのではなく、知識に飢えており、なぜそうなるのか、その根本原理とは何なのかを追求しようとしている。授業の感想用紙(ミニッツペーパー)に、「今日の授業は難しかったが、とても内容が深くてもっと勉強しようと思った」と書いてくれる学生がいるが、そうした学生に対しては、さらに背中を押してやりたくなる。 誰しも、大学を卒業して何年も経ってから思いだす授業とは、きつかったが、内容の濃かった授業である。こうした授業は人生における心の財産となる。 筆者は、島根大学文理学部の4年の時、「ドイツ語上級」という授業を取った。ドイツの哲学者ニーチェ(Nietzsche)(1844-1900)の『ツァラトゥストラはこう言った』(Also SprachZarathustra)を原書で読むというものだった。1960年代の終わり頃は大学紛争の真っ只中で、「疾風怒涛の時代」だった。学生たちは必死になって生きる意味を模索していた。この授業では、私たち学生は、独和辞典を引きつつ、一語一語精読したが、まるで聖書を読んでいるようだった。しかし、思い返してみると、学生時代に、不安をかかえながら教室でこの本を精読したことは筆者にとってかけがえのない財産となった。それはひとつの「出会い」だった。 『ツァラトゥストラはこう言った』については、ここでは、ほんの一節だけ、しかも日本語訳(氷上英廣訳、岩波文庫)でしか紹介できない。筆者が最も心を動かされたのは、「三段の変化」という章だった。この章は、次のように始まる。「わたしはあなたがたに、精神の三段の変化について語ろう。どのようにして精神が駱駝(らくだ)となるのか、駱駝が獅子(しし)となるのか、そして最後に獅子が幼(おさ)な子になるのか、ということ。」駱駝は「辛抱づよい精神」を象徴している。 ニーチェは次のように書いている。「こうしたすべてのきわめて重く苦しいものを、忍耐強い精神はその身に引きうける。荷物を背負って砂漠へいそいで行く駱駝のように、精神はかれの砂漠へといそいで行く。しかし、もっとも荒涼たる砂漠のなかで第二の変化がおこる。ここで精神は獅子となる。精神は自由をわがものにして、おのれの求めた砂漠の支配者になろうとする。」しかし、獅子には敵対者が立ちはだかっている。それは巨大な竜である。獅子は命を賭けてこの竜に闘いを挑む。獅子は「意志」を象徴している。 ニーチェは問う。「わが兄弟たちよ!なんのために精神において獅子が必要なのであろうか? 重荷を背負い、あまんじ、畏敬する動物では、どうして十分でないのであろうか?」ニーチェは答える。「新しい創造のための自由を手にいれること―これは獅子の力でなければできない」 獅子は、さらなる変化を遂げ、幼な子になる。「幼な子は無垢である。忘却である。そしてひとつの新しいはじまりである。ひとつの遊戯である。ひとつの自力で回転する車輪。ひとつの第一運動。ひとつの聖なる肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、わが兄弟たちよ、聖なる肯定が必要なのだ。…」「幼な子」は「創造の遊戯」を象徴している。 「自力で回転する車輪」(ein aus sichrollendes Rad)とは、なんとすばらしい比喩であることか。卒業を間近に控えたある日、筆者は先生のご自宅まで雪道を歩いてレポートを届けに行った(その日の松江は、雪が降りしきっていた)。大学時代に第2外国語としてドイツ語を取らなかったら、そして4年の時ドイツ語上級を取らなかったら、原書でニーチェを読む機会は一生なかったかもしれない。あのとき提出したレポートは、今となってはもう書けない。 授業で、外国語の名著を精読することには、単なる語学的訓練を超えた何かがある。その「何か」とは、「啓発」ではなかろうか。哲学書であれ、文学書であれ、社会科学・自然科学の書であれ、すべて名著と言われる書は、精読と再読に耐えるものである。学生時代に名著『ツァラトゥストラはこう言った』を原書で教えていただいたことに心から感謝している。 冒頭で述べたように、学びとは終わりのない航海である。学生諸君には、まずは、予習・復習をしっかりとして、授業内容の理解を深め、問題意識を鋭敏にしてほしい。そして、学生時代における学びのプロセスの中で、「駱駝の精神」、「獅子の精神」、「幼な子の精神」を体験してほしいと思う。分析を終えて澤田 治美大学FD委員会委員長(外国語学部教授)学びは、終わりのない航海問題意識を鋭敏に