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概要

外大通信デジタルブック

[11] THE GAIDAI 2016年(平成28年)7月29日 第285号Campus Life 関西外大の最新ニュースはホームページにも掲載しています http://www.kansaigaidai.ac.jp/東南アジアの専門家養成目指す│4月1日付で外国語学部教授に就任されました。関西外大へは26年ぶりの復帰とうかがいました。野村 片鉾キャンパス時代に1980年から10年間、外国語学部で中国語や英語を教えていました。大学院修了後、日本貿易振興機構(JETRO)に勤めましたが、1年半ほどで病気になり、母校の高校で社会科教師兼図書館担当になりました。しかし、体調が回復すると、仕事に物足りなさを感じ、あちこちに履歴書を送って職探しをしていたところ、関西外大のある先生の目にとまり、呼ばれたのです。│当時の外大の雰囲気は今と比べてどうだったのでしょういか。野村 レベルは今より低かったが、おもしろい学生が多く、毎日のように遊びにきて一緒にお好み焼きを食べに行ったりしていました。「海外学生交流会」というクラブの顧問をしていましたが、香港中文大学と交流があり、学生を連れて香港に行ったこともありました。今でも当時の学生と付き合いがあります。1990年の慶応大総合政策学部の設立と同時に招かれ、今春までインドネシア語や東南アジア地域研究を担当してきました。その間、2008年に関西外大で「〈ASEAN+3〉大学コンソーシアム」が発足した際、要請されて式典に参加し、その後、東南アジア関係の集中講義や非常勤講師を合わせて4年ほどやりました。│外大時代にマレーシアのマラヤ大学に留学されました。野村 学生時代から東南アジアに取り組み、中国と南方の関係、「中南関係」を研究していました。卒業論文と修士論文のテーマはそれぞれ「中国ジャワ交流史」「マラッカ王国の貿易と社会に関する研究」です。留学は、マレーシアの歴史を勉強しているうち、マラヤ大学の先生とご縁ができたのがきっかけで、マレー語を覚えるいい機会になりました。ちなみに、マレー語とインドネシア語は、根っこは同じで、東京と大阪の言葉の差程度しか違いはなく、語彙を入れ替えれば通じます。│1980年代のマレーシアで日本人留学生はどのくらいいたのでしょうか。野村 ほとんどいませんでした。当時のマレーシアはナショナリズムが高まり、マレー人を優遇するブミプトラ政策のもとで、教育言語を英語からマレー語に切り替えており、英語で教育を受けた先生たちはマレー語を覚えるのに苦労していました。私にとって留学の2年間は「青春時代」ともいうべき楽しいもので、クアラルンプールからシンガポール、タイ、ミャンマーなどの周辺国をたびたび訪れ、そこにいる日本人のいい仲間ができました。彼らは今では大学の先生や、外交官、ビジネスマンなどとして活躍しており、交流が続いています。│もともとは東洋史を専攻され、中国語がご専門ですね。野村 外大時代は中国語ができる先生がほとんどおらず、重宝されました。1980年代初め、関西地区の大学の学長らが友好団体「日中教育交流懇話会」をつくりました。副会長に谷本貞人・前学長が就き、私が事務局担当となり、日中双方の往来があるたび、通訳をしました。83年の夏休み、谷本貞人前学長ら外大関係者が訪中し、上海外国語学院(現・上海外国語大学)と交流協定を締結しました。これが中国との協定第1号となりました。翌84年夏には、外大生33人を連れて3週間中国を訪れ、上海外大で研修した後、南京、北京を回って帰りました。本学初の中国研修です。外大の中国との交流の基礎作りのお手伝いをさせていただくことができました。│2度目の外大ではどういうことに取り組む予定ですか。野村 「比較文化研究」は、インド、メソポタミア、ギリシャ、ローマなど世界の主な文明を学んで特質を理解する、文明とは何かを自分で考えてもらう講義です。「アジア文化論」は、東南アジアの歴史や文化を多角的に学びます。秋学期から「インドネシア語」が加わります。英語ができてインドネシア語の基礎もできる東南アジアのスペシャリストを養成したいと考えています。外大の卒業生は外国人と接触する仕事に就く人が多いわけですが、相手のバックグラウンドを知っているかいないかで印象は全然違ってきます。学生時代に東南アジアの基本的なことを理解しておれば応用ができます。そんな意識を持ってインドネシア語を学ぶ学生が1人でも2人でも増えることを期待しています。│学生に言いたいことやアドバイスがありましたら。野村 国際社会はますます混沌としていますが、2000年の初め頃から日本の若者は内向きになっています。慶応大にいた頃、外国なんかへ行くより温泉でも入っているほうがましだと年寄りみたいなことをいう学生がいました。学生たちは優秀だが、大学に入ることが目的化しているようなところがありました。その点、外大では、外国に行きたいという学生がたくさんいて、すばらしいと思います。若い時に外国に行くことに意味があります。若い時は感度がいいから何でも吸収できます。どんどん異文化に触れて、いろいろなものを蓄積してほしいと思います。 1952年東京生まれ。青山学院大大学院修士課程修了(東洋史専攻)。日本貿易振興機構(JETRO)、青山学院高等部教諭、関西外国語大外国語学部助教授、慶応大総合政策学部教授を経て4月から外国語学部教授。専門はマレー世界の歴史、マレー・インドネシア語、東南アジア交通史など。趣味は三味線。秋学期から留学生別科で「日本の伝統芸能」を講義する。プロフィル研究室からVol. 40年ぶりに関西外大復帰26ラヤ大学に留学した「青春時代」マ国との初協定締結を手伝う中度がいい若い時ほど異文化接触を感外国語学部野村 亨 教授のむらとおる 5月28日、本学ロシア語(担当・柚木かおり講師)履修生のうち12名がロシア総領事館を訪問し、民族料理ペリメニ(水餃子)の料理教室に参加した=写真。2011年から始まった行事も、今回で6年目を迎えた。 今回の担当は、流暢な日本語を話す外交官のマリーナさんと公邸料理人のヴァシーリーさん。ヴァシーリーさんは容赦のない速いロシア語と身振りで的確な指示を飛ばし、マリーナさんは訳したり、説明したり、自分でも作り方を優しく教えたりした。鍋4杯分作った後は、贅沢にきのこ入りスープをかけてみんなで食べた。規則変化でないグリブィー(きのこ)という語をなぜ学んだのか、即座に理解できた。 本学学生は履修2 か月足らずだったが、さすが外大生、気後れもせず非常に積極的で、よく聴き、話そうとし、教科書にあった語や表現が出てくるたびに「あっ」と声があがった。わずか2時間の訪問だったが、言語を学ぶ意義が十分に実感できる異文化体験だった。露総領事館で料理教室ロシア語履修生12人参加 イベロアメリカ研究センター主催の公開講座が6月22日、ICCホールで開かれた。第1回目は、米大リーグ・ロサンゼルスドジャース日本担当顧問の鈴木陽吾さんが「外国語を使って働くとは」のテーマで講演=写真。「オリンピック、日本のプロ野球、メジャーリーグ球団での業務経験を通して日常、どのように英語と接してきたか」について熱っぽく語った。ICCホールを埋めた市民、学生、教員ら約160人は、鈴木さんの言葉一つひとつに注目した。 鈴木さんは、大学3年のとき東京での世界陸上で通訳として活躍。2004年からプロ野球オリックス球団で外国人選手の契約交渉に携わる。その後、同球団のテリー・コリンズ監督の専属通訳を務めるなど多彩な経歴を持つ。 鈴木さんは「語学のスコアがよくて、語学に自信のある人が、野球のヒーローインタビューの通訳をしたとき、緊張で頭が真っ白になり何も言えなかったという人がいる。つまり、語学力とは総合力が必要ということ」。つまり「語学力向上に一見、関係ないと思えることも、語学力向上に結びつけられるということを覚えてほしい。私は、日常生活のなかで街の看板などアルファベットを探す。携帯電話も英語設定にする。こうした努力で単語を認識する早さはスピードアップし、それは誰にも負けない。単語帳を作って覚えるより効果的だ」。さらに「会話の間をつかめば、ネイティブの人のリズムでしゃべれるようになる」と、極意を語ってくれた。最後に、学生に対して「何事にも失敗することはいいことだが、失敗を恐れて何もしないという選択肢はよくない」と結んだ。ドジャース・鈴木陽吾氏が講演イベロ公開講座