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概要

外大通信デジタルブック

25――言語学、日本語学がご専門ですが、どうしてこの道に。柿木 理由の一つは、高校時代、国語の教科書に載っていた国語学者、大野晋さんの「日本語の起源」という文章に触発されたことです。国語に興味をもっていましたが、その起源を知りたいと思うようになりました。大野晋さんとは後に、「日本語の語源を学ぶ人のために」(2006年、世界思想社)という本の共著者に名を連ねることになります。高校時代にその著書に出会った研究者と本を書くことになるとは驚きでした。「出会い」の大切さを感じています。起源については、タミール語説やアルタイ語説など諸説ありますが、日本語を研究してもなかなかわからない。そこでモンゴル、満州、ツングースなどアルタイ語系の言語を学んでみようと。――大阪外国語大学(現・大阪大学)モンゴル語学科に進まれます。モンゴル語学科といえばOBに司馬遼太郎がいますね。柿木 これが二つ目の理由です。中学の時に「関ヶ原」から読み始め、高校卒業までに司馬作品をほぼ読み尽くした熱心なファンでした。同じ大学に行けば司馬さんに会えるのではと大阪外大への進学を決めました。大学院時代にそれが実現します。モンゴル語学科の同窓会に司馬さんが出てきて、会の後、司馬さんを含む数人で喫茶店に入りました。勘定の際、司馬さんから支払い役を命じられて1万円渡され、釣り銭の中から「お小遣い」と5000円をいただきました。もったいなくて使えず、今も大事に実家に置いています。――司馬遼太郎の印象は。柿木 後に論文を書いて見てもらいました。すぐに葉書で返信をいただき、しかも丁重な文面です。悪いことは書かず、いいことばかり書いてあります。司馬さんほど謙虚な方に会ったことはありません。聞き上手で相手を緊張させない。「滋賀県出身です」と紹介すると、「近江はいいところですね」といってくれました。「研究は続けてくださいね」との司馬さんのひと言が、研究者の道に進むきっかけになりました。この体験から、学生には「夢はかなうものではなく、かなえるものだ」と常々いっています。――言語学、日本語学の魅力はどういうところにあるのでしょうか。柿木 日本語の起源について、いろいろな人がいろいろな本を書いています。しかし、いまだによくわかっていない。私自身は、アルタイ諸語が混じり合ったものではないかと考えています。日本語とウラル・アルタイ語族がよく似ていることを最初に指摘したのは藤岡勝二(1872?1935)で、私は大学生の時に藤岡の名前に出会い、現在もその研究を続けています。アルタイ系とどういう関係があって日本語が形成されたのか。それを突き詰めていくのは一つのロマンのようなものです。 ただ、日本語の場合、ヨーロッパ諸語のように紀元前までさかのぼる古い文献が残っておらず、せいぜい古事記・日本書紀、万葉集ぐらいまでです。今後の課題として、遺伝学など様々な研究分野の研究者と大きなプロジェクトとして取り組むのも一つの方法でしょう。――授業で心がけていることは。柿木 顔と名前を一致させることを心がけています。学生たちはそれぞれ人格を持っているわけで、声がかれようと1人ひとり名前を呼んでいました。ただ、受講生が100人を超えるようになり、物理的に難しくなってきた。それと、手書きでレポートを書かせています。手書きだと、文章の構成力や表現力を養えます。添削するように努めていますが、こちらも受講生が増えて困難に直面しています。学生とは「教える」「学ぶ」関係ではなく、「共に学ぶ」ということを常に考えています。学問を志す同志として同じ立場ですから。例えば、帰国子女など私が経験したことのない体験をしている学生が書いた論文にハッとさせられることもあります。――学生にはどんなことを期待しますか。柿木 学問的好奇心を持ち続けてほしいですね。学問はこれで終わりということがない。そして、人との出会いを大事にしてほしい。私にとっては、司馬遼太郎さん、大野晋さんとの出会いです。――多趣味とお聞きしました。柿木 中学、高校ではバレーボールに熱中し、前任校ではバレーボール部顧問を務めました。クラシックギターは13歳から始め、大学4年間取り組みました。高校時代の親友が能楽師をしており、能楽鑑賞も好きです。5年前に日本ペンクラブ会員になりましたが、推薦人には、知人の紹介で作家の浅田次郎さんになってもらいました。司馬遼太郎と出会い研究の道へ言語学はロマンのようなもの司馬遼太郎(前列左から2人目)と大阪外大大学院生時代の柿木教授(後列左から2人目)作家浅田次郎氏(右から2人目)と柿木教授(中央)