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留学生たちとの出会いと交流が
メルカリという職場で息づいている

留学生たちとの出会いと交流がメルカリという職場で息づいている

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世界への好奇心を持つ
自らチャンスを作り出す

こんにちは、Take Action!編集部です。この記事では2015年に関西外大を卒業し、メルカリで勤務している中川さんをご紹介します。英語キャリア学科1期生として入学した中川さんは、先生や同じ学科の仲間たちと協力して学びを作り上げたという自負があったそうです。急成長する企業のなかで、中川さんが何を考え、どんな仕事をしているのかお話を伺いました。

メルカリでグローバルな人間関係を構築する

私は現在、メルカリで働いています。メルカリはみなさんもすでにご利用されたことがあるかもしれませんが、⽇本最⼤のフリマサービスを提供している会社。誰もが商品を安⼼して売買することができるプラットフォームをめざしています。メルカリの中で語学を⽣かせる場所があるのかと思われるかもしれませんが、メルカリはグローバルテックカンパニーをめざしており、英語を生かせる場面が多々あります。

メルカリの創業は2013年。創業から11年とまだまだ若い企業です。そして、若い企業だからこそフレキシブルに、フットワークの良さで事業を拡⼤してきました。

海外への進出も早く、設⽴から1年も経たない2014年にはアメリカにメルカリUSを設⽴。現在ではインドにも拠点を置いて、グローバルな展開を果たしています。⽇本でもエンジニアなどの技術者はグローバルメンバーが多く、⽇本のオフィスでは英語による 会話、メールのやり取り等が日常的に行われており、関⻄外⼤で⾝に付けた⼒を⽇々発揮しながら仕事をしています。

「日本に来てよかった」と思ってもらえるように

私のメルカリでの仕事は、採⽤担当者として世界中からメルカリにご入社いただくことです。エンジニアを始め多くの優秀な⼈材を採⽤し、彼らに安⼼して最⼤限のパフォーマンスを発揮してもらう。それが私のミッションです。メルカリの場合、エンジニアの半数以上が外国から採⽤された⼈材です。⽣活の拠点を⽇本に移して働く⼈の場合は、日本での生活をイメージしてもらえるようにさまざまな話をします。そもそも日本のことを知らない人もいらっしゃるので、そんな方に日本に興味をもってもらえるようある意味日本代表として魅力づけを心がけています。彼らとコミュニケーションを取る際に、いつも思うのは関⻄外⼤で学んでよかったということです。留学⽣の⼈数がとても多い⼤学だったので、⽂化や宗教の違う国の⼈たちとのコミュニケーションに困ることはありませんでした。そして、これは私のポリシーなのですが、私と出会った⼈には笑顔になってほしいと考えています。せっかく⽇本で働くという縁があった⼈たちです。メルカリで働くグローバルメンバーに「⽇本に来てよかった」と思ってもらいたいと考えて丁寧な仕事を⼼がけています。

好きな英語で専門分野を学び、自信が持てた

私が関⻄外⼤を選んだのは在学中に海外で「なにか」を成し遂げたいという思いがあったからです。入学後に明確に起業をしたいと考え始めるようになりました。起業を考えたのは⾃分が家族を⽀えなければと思っていたからです。私は5歳の頃からバスケットボールを始めました。⼩中⾼とバスケを続け、バスケでアメリカに⾏くことを夢⾒ていました。その頃に独学で英語の勉強を始めました。

⾼校卒業後もバスケットボールは続けたかったのですが、家庭の事情もあり、私の気持ちは卒業後の起業へと傾きました。そして、好きだった英語を磨きながら社会で通⽤する専⾨分野の勉強もできる関⻄外⼤の英語キャリア学科ができると知り、⼊学することを決めました。当時の私にとって関⻄外⼤で学ぶことは⾃⼰成⻑を実現する場であり、将来の⾃分を広い世界に解き放つために必要な学びの場だと捉えていたように思います。

英語キャリア学科、第一期生としてのプライド

英語キャリア学科の⼀期⽣として⼊学したのは私を含めて100⼈ほどでした。英語と専⾨分野の学びを⾝に付けるという⽬標を掲げた学部ですが、まだ⼿探りの状態で先⽣たちや同級⽣たちといっしょに授業を創っているという感覚がありました。もっと良い学びを創り上げたいと熱⼼に取り組んでくださる先⽣たちと、それに応えようとする私たち学⽣がいっしょになって英語キャリア学科を創りあげていくというプライドがあります。

みんなとても熱⼼に勉強していました。課題をこなすために、みんなでファミリーレストランでいっしょに勉強することもありました。わからないところがあると、みんなで質問し合ったり、先⽣と活発にディスカッションしたり。地元の徳島では英語を学ぶということが少し孤独に思っていましたが、関⻄外⼤ではみんなで楽しみながら⾝に付ける学びとなっていました。

国際交流の経験がいまの仕事につながっている

関⻄外⼤で学びながら、もう⼀つ⼒を⼊れていたのは国際交流です。せっかく、たくさんの留学⽣が来ているのだから、みんなでもっとコミュニケーションを取りたい。そのために、大学の友人と国際交流の団体を作りました。たくさんの留学⽣たちを集めて、みんなで会話を楽しむためのイベントを開催していました。

みんなの輪から外れて寂しそうにしている留学⽣を⾒つけたりすると、ついついお節介を焼いていました。⾃分⾃⾝が地元で浮いていたことを思い出していたのかもしれません。こちらから積極的に話しかけて仲良くなっていく。それは遊びのように⾒えて、⼤きな学びだった気がします。実際に、いまメルカリでグローバルメンバー とやりとりをしているときに、「⽇本に来てよかった」と思って欲しいと考えられるようになったのは、このときの経験があったからだと思います。

関西外大に行かなければ、いまの自分はない

⽇本から抜け出したい、という気持ちが英語を始めた原点にあったので、⼗代の頃は⽇本史に興味を持てずにいました。そんな状態だったので、留学⽣たちに⽇本のことを聞かれても何も答えられませんでした。そんな私にとって、英語で専⾨分野を学ぶという英語キャリア学科は最適な学科だったのかもしれません。

もしかしたら、私にとって関⻄外⼤での4年間は⾃分が⽣まれ育った⽇本を知り、⼈の優しさを知るための4年間だったのかもしれません。同じ学科の仲間や留学⽣との交流、そして、個⼈的には度胸試しのために⾏った、関⻄から東京へのヒッチハイクも⾃⼰成⻑につながっていると思います。

私がメルカリで働いている理由は、⼈を笑顔にするためです。もちろん、メルカリを利⽤してくれるお客様が笑顔になるということもあります。しかし、もっと直接的に私とほんのわずかな時間しか接しない⼈にも笑顔になってほしいと願っています。そのためには私⾃⾝が仕事を楽しんでいる必要があります。常に新しいチャレンジを求めながら、⾃分の⼈⽣を切り拓いていこうと思います。関⻄外⼤に⾏かなければいまの⾃分はなかったです。これから関⻄外⼤で学びたい⼈に伝えたいのは、これからの4年間で出会うすべての⼈を⼤切にしてほしいということです。すべての⼈との出会いがいまの⾃分の⼟台になっていることは間違いありません。

MOVIE|いつかキミが世界と日本をつなぐ|中川さん編

※この記事の内容は取材時点(2024年3月)のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。