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専門留学で身に付けた学びで
世界にスポーツの喜びを伝えていく

専門留学で身に付けた学びで世界にスポーツの喜びを伝えていく

世界への好奇心を持つ
自らチャンスを作り出す
多様な価値観と向き合う
戸田 大輝 さん

<<プロフィール>>
英語キャリア学部 英語キャリア学科 4年
長野県立上田染谷丘高校出身

もっと世界を知りたくて関西外大を選んだ

私が関西外大を選んだのはもっと世界を知りたいと考えたからです。小学校3年から中学2年までアメリカに住んでいたこともあり、日本に帰ってきてからも海外のニュースには関心を持っていました。そして、国際社会のニュースにふれることで日本が世界情勢の影響を強く受けていることを知りました。世界にはさまざまな社会問題があり、翻弄されている人も多い。そんなことを知ったことで、私は英語を使って人のためになる仕事ができればという考えが生まれました。

しかし、もともと私は理系の科目が得意でした。高校3年生で進路を決めるときに理系の大学に進むのか、もっと英語を学べる大学に行くのかで迷っていました。そんなとき、関西外大の英語キャリア学部を知り、興味を持ちました。英語を深く学ぶだけではなく、英語で専門分野の勉強ができる。それなら、私が海外で身に付けた英語というコミュニケーションツールをもっと磨きながら、より豊富な知識や情報を身に付けることができます。それはもっと世界を知りたい、と思っていた私にはとても魅力的な学びだと思えました。さらに休学することなく1年間の専門留学ができることということも決め手となり、私は英語キャリア学科へ入学しました。

アメリカで言葉の大切さを知った小学3年生

私のはじめての海外体験は小学校3年生でした。父の仕事の関係でアメリカで暮らすことになり、家族でジョージア州へ引っ越しました。まったく違う言葉を話す国で、たった一人で教室にいるという体験が強烈でした。先生やクラスメートが何を話しているのかもわかりません。もちろん、こちらが伝えたいことも伝えようがありません。私は教室の片隅で本当に絶望的な気持ちでした。言葉が通じないという状況のなかで、言葉の大切さを知らされた瞬間だったと思います。

クラスメートたちは生まれて初めて見る日本人に本当は興味津々。やがて、何人かのクラスメートたちが身振り手振りで話しかけてくれるようになりました。このときの体験はのちに私が関西外大で留学生たちと交流するときにも役立っていると思います。英語というコミュニケーションツールをしっかりと身に付けること。そして、いろいろと思い悩んで考えるよりも、まず身振り手振りでもいいから話しかけること。初めてのアメリカで知り合ったクラスメートたちが教えてくれたことを生かして、私は関西外大で留学生たちとの交流を広げていった気がします。

留学先で社会学を深めたことが、世界の見え方を変えた

英語キャリア学科に入学してからは、英語をしっかりと学びながら、経営学、統計学、社会学、言語論など、幅広く社会科学を学ぶことができました。私はできるだけ多くの学びを得ることで、自分自身が興味関心を持って取り組めるものを見つけたいと考えていたので、この学科のコンセプトは私に向いていると思いました。

実際に、社会科学を学び始めてからは国際ニュースの見方も変化しました。報道で伝えられるニュースの奥にあるその国独自の問題や課題などに目が行くようになりました。特にアメリカのニュースはよく見ていましたが、そのなかで人種問題などにふれることで、ぼんやりと自分が国際社会になにか貢献できることはないのか、と考えるようになってきたのです。

そして、私のそんな関心は3年次の専門留学でより広く深くなりました。留学先の大学では、国際政治学、平和学、心理学、国際関係論、環境学(SDGs)について学びました。すべての学びが刺激的でしたが、特に平和学と環境学が印象に残りました。それぞれの国によって文化が違い、価値観が違うことがわかりやすく見えてきたからです。そして、結局すべての学びは、それを得た一人ひとりの個人の意識と行動へと結びつかなければ意味がないのだということに気づかされました。

スポーツを通して人を知り国を知る

私は子どもの頃からずっと身体を動かすことが好きでした。そして、スポーツが私の人生で常に大きな意味を持っていました。たとえば、小学校3年生のときに行ったアメリカでは、サッカーが友だちと私をつないでくれました。まだ、言葉も通じない私の前に、サッカーボールを持ったクラスメートがやってきて笑うだけで、それは「サッカーをしようよ」という意味になり、言葉の壁を越えて私に伝わりました。

関西外大に入学してからも高校時代から楽しんでいたバドミントンで大学の仲間たちと気持ちを通じさせることができました。留学中のアメリカでも友だちと夢を語り合い、授業後にはバレーボールをすることで、互いを隔てていた距離が一気に近くなったことを覚えています。そして、アメリカへの留学中、私はいつかスポーツに関わる仕事がしたいと思うようになりました。関西外大に入学してからも、いつも私はスポーツを通して、人を知り、国を知り、そして、自分自身を肯定的に見られるようになった気がしています。

まず行動することで気づきを得るようになった

アメリカへの留学を経験する前の私は、何事にも慎重でした。ときには考えあぐねて行動しないことさえありました。しかし、留学を経験してからは、まず行動する、ということを心がけるようになりました。海外で夢を語り合った友人たちも、その多くが行動する人たちでした。私も留学を終えてからは積極的に動くようになりました。国際交流部の学生アシスタントをしたり、高校生向けイベントを企画する学生ボランティアに参加したりしました。たくさんの人がいる場所に参加し、行動し続けることで、多くのものを得ることができると気づいたからです。特に留学生のサポートをしているときには、自分が留学していたときのことを思い浮かべていました。自分の経験を生かして、日本に来てくれた留学生をサポートする。そんな活動が、誰かを幸せにするための仕事をしたいという気持ちにつながっていったのかもしれません。

そして、私にとって、誰かを幸せにする仕事とはなんだろうと考えたとき、それは自然とスポーツにつながりました。初めてのアメリカでも、3年次の留学でも私を新しい人と強く結びつけてくれたのは英語という言葉とスポーツでした。卒業後、私はバドミントン用品のメーカーとして世界的に高いシェアを誇っているヨネックスで働きます。高校時代、そして関西外大に入学してからも仲間とバドミントンをしていたので、社名にも馴染みがありました。バドミントンは、アメリカではまだまだマイナーなスポーツ。それはつまり、バドミントンの魅力を広めていけるチャンスがあるということです。ここなら、スポーツに関わりながら、関西外大で学んだ知識と英語力を生かすことができそうです。

※記事の内容は取材時点(2024年3月)のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。