海外生活体験記(3)ダイバーシティ(多様性)--藤田由美子
2010/7/19
私は、留学でアメリカに2年、オランダの会社に16年勤め、その内7年間をシンガポールで過ごしました。そんな生活の中で 私はいろんな「違い」に触れてきました。
もちろん、世界を3つのエリアや境界線で分けることはできませんが、漠然とした特長は何となく感じるものがあります。もちろん個人的な感想ですけれども。
アメリカはまさにMelting Potだと思います。アメリカにも、移民の歴史の為、色々な背景を持つ人達がたくさん居ますが、Americanであることで一つに結束しているように思います。アメリカ人としてAmerica(USA) という一つのグループに属している人々の集まり。他方、アジアはSalad Bowlだなあ、とよく感じました。アメリカと同様、色んなところからの移民が一つの場所に住んでいるものの民族的背景を色濃く残していて、決して一つのグループになっていない。混ざり合わずサラダの具材のように元の形を残したまま「共存」という言葉がぴったりだと思います。
おもしろかった事の一つに、シンガポールに住んでいる中国人は Singaporean Chineseと自らを呼び、アメリカでは Chinese Americanと呼んでいます。「何か不思議~。」と感じます。
ヨーロッパは・・・、これは、国や民族に属している、というよりは、個人個人がたまたまその物理的に集まっている場所が住んでいる国、という気がします。もちろん、一度「国」の民となってからは、その国の国民としてのプライドを持っているように強く感じます。
それらについて、「どれがどう、ということは言えませんし、「どう感じるか」はそれぞれ個人の自由なのですが、昨今よく耳にするDiversityを実感したいのならば、私は絶対に「アジア」をお薦めします。
あまりにも日常のあらゆることにおいて「Different」なことが存在しているので、Diversityなんて感じる間もなくどっぷりと浸れちゃいます。
職場でのこと。
イスラム教の同僚は就業時間中にお祈りで仕事を抜けることがあります。会議中であれば会議自体が中断です。こんな状況、あなたならどう感じますか? 日本では、おそらく「何故、一人の都合のためにみんなが合わせなくてはいけないのか」「就業時間中に仕事を抜けなくてはならない事情を持っている人は 他の人の為にもなるべく雇用しないようにする」「その人に、お祈りの時間を仕事時間外にしてもらい、他のみんなと協力するようにお願いする」なんて声が聞こえてきそうです。
「何か問題点」になっている部分をなくしていくこと、「違い」を排除していくこと、または「多数又は共通の価値観」を基準化して全員が守れるようにもっていくことで、解決策を見出そうとするのではないでしょうか。もちろん別に間違いでもないです。ただ、これでは、単一社会ではまとめやすい方法かも知れませんが、社会が多様化すればするほど、どんどん、いつか、やっていけなくなります。
「お祈りの時間」以外に会議を設定すればいいのでは。誰かのせいの「中断」でも「自分もリラックスできる休憩」と受け止めることは出来ないのでしょうか。「多数」が「一人」の為に予定を都合する努力することに、ダメなことがあるのでしょう。
相手と自分との「違い」を、「違うもの」として受け止めた上(受入れなくても)それを理解しようと努力をすることが、相手を尊重していることの顕れであり、それは、これからの多様化する社会・世界を生き抜いていくキーポイントだと思います。