関西外国語大学孔子学院の創立5周年を記念して特別講演 「井上靖と中国」 ICCホールで開く


▲書斎で執筆する父、井上靖の写真を紹介する井上修一さん(右下)

関西外国語大学孔子学院の創立5周年を記念した特別講演会が10月30日、中宮キャンパスのインターナショナル・コミュニケーション・センター(ICC)ホールで開かれました。「孔子」や「敦煌」などの著作で知られ、中国との関わりが深い作家で詩人・井上靖にちなみ、長男の井上修一・筑波大名誉教授が「井上靖と中国」をテーマに、身近に見てきた父親の姿を語りかけました。学生だけでなく、市民も含めて約50人が興味深く聞き入りました。


▲演壇の前まで出て、資料の解説を行う井上修一さん
 
講師の井上修一さんは、ドイツ文学者。東京大文学部を卒業し、一橋大や筑波大教授からプール学院大学長を経て、現在は井上靖記念文化財団理事長も務めています。
 
井上さんは、初めに京都大を出た父親を紹介するのに、「父は大学入学に試験はなし。大学の授業にはほとんど出席せずに、卒業の面接時に『あなたが井上君か』と教授に問いかけられた」というエピソードを披露。哲学科で、指導教授は九鬼周造。「父は『あんなに恥ずかしいことはなかった』と言っていた」と述べていました。卒業の時の年齢はすでに29歳。
 
このあと、大学卒の肩書きがいかに社会で役に立ったかを子どもたちに語るとともに「父はしっかりとした大学には進め、しかし詰まらない授業には出るな。その代わりに本は読め」と教えていたという。
 
井上靖はその後、大阪の毎日新聞社に当初は給仕として入社。その後、「闘牛」で芥川賞を受けた後に退社。作家生活に入り、「天平の甍」や「楼蘭」「敦煌」から最晩年の「孔子」まで数々の中国関係の作品を残すだけでなく、日本でのシルクロードへの関心の火付け役的な役割を果たし、日中文化交流協会会長も務めています。文化勲章を受章しています。
 
井上さんは、父が作品を執筆している時はすごい集中ぶりで、子どものときは近づき難かったとして、書斎で和服の左肩をたくし上げ、片膝を立てながら原稿に向かっている写真を披露しました。
 

▲軍医だった父ら家族の話も語られた

北海道の今の旭川市に駐屯していた軍の軍医の息子として生まれた靖は、転勤で動く家族と別れて暮らしはじめました。養母となったのは曾祖父のお妾。親戚の中で肩身の狭さに苦労したのを知っているだけに、一座の中に所在なげにいる人に、必ず気づき、声をかけたといいます。「自分が寂しい思いをして育ったので、そんな気持ちが分かったようだ」と修一さんは語りました。


▲静かに聞き入る会場

井上靖は、見知らぬものや叶わぬものへの夢、遠く隔たった土地への夢を育んでいき、1950年4月の「漆胡樽」から中国・西域に関す小説を手がけ始めました。「楼蘭」に出てくる消えた湖ロブノールを見ていません。「敦煌」にも現地に行かずに執筆しました。しかし、リアルな描写ができたのは、数多くの参考文献とともに、豊かな夢を見る力だった、といいます。
 
中国・西域への思い入れはとりわけ強かったようで、中国人ですら気づかなかった沙漠へのロマンを掻き立て、遙かなるシルクロードを「今のように誰でも知っている存在にしたのは井上靖」と中国の学者・評論家も指摘しています。 

井上修一さんは、秘蔵の数々の写真とともに、父が勤めていた新聞社からもらった俸給表を示しながら、終戦直後の昭和20(1945)年12月は、前借りしていた分を給料から引かれていると会場を笑わせたりしました。
 

▲学生からの質問も出された

市民や学生などからは「沙漠はどんなイメージだったのか」などの質問が出ていました。また「井上靖は孔子をどう捉えていたのか」という問いに、井上さんは「父は、孔子を思想家というより政治家として見ていたようなことを語っていました」なとと答えていました。講演は、予定を超えて2時間以上に及びました。
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