≪外大人≫床呂沙紀さん(京セラ名古屋営業所、国際言語学部2017年卒)/尽きない挑戦の日々、胸に刻んだ自主自立

 床呂沙紀さんは現在、京セラ名古屋営業所で総務課員を務めています。勤怠の管理から物品の注文、営業のサポートもこなし、「何でも屋です」と笑いますが、常に職場全体を見ていなければならない縁の下の力持ちとして活躍中です。



 床呂さんは、1994年に三重県松阪市で生まれました。女子駅伝部の1期生で初代主将を務め、全日本大学女子駅伝に3年連続で出場を果たしました。個人では、大阪国際女子マラソンのネクストヒロイン枠で2度出場。卒業後は、京セラ女子陸上競技部に5年間所属し、現在は名古屋営業所総務課で勤務しています。
 
※関西外大通信315号の連載企画・第一線で活躍する卒業生にインタビュー「外大人Vol.27」の記事を基にまとめています

■目指したのは学校の教員

 中学から本格的に陸上競技を始めました。競技では東海大会へ出場して成績を残しましたが、夢は学校の教員。勉強しながら陸上もできる進学校を考えていました。

 そんなとき、県内の強豪校から入部を勧められました。「強豪校ならではのピリッとした雰囲気と生き生きと走る先輩の姿をみて決心しました」といいます。

■結果に現れない高校時代

 進学先は自宅からは遠く、通学できなかったため、父親と駅近くに家を借りて二人暮らしをしました。家族に全面的に支えられた生活の中で、「都大路で走りたい」「結果を出さなければいけない」との思いの一方で、3年間、都大路を走ることができず歯がゆい思いをしました。

 思うように成績を残せない中で、進路選択を迫られました。そんなとき監督から「関西外国語大学が女子駅伝部の1期生を募集している」と教えてもらいました。

 女子駅伝部の山本泰明監督に話を聞きに行くと、直感で「山本監督から指導を受けたい」と強く感じ、「走ることが好きだ」という原点に戻ることができました。すんなりと関西外大への進学を決めました。


▲福知山マラソンに山本監督(写真先頭、左)とともに出場した床呂さん(中央)

■楽しく走った4年間

 女子駅伝部の1期生の主将となりました。部内を束ねていく責任とともに、練習は質も量も大きくレベルアップしていました。

 全日本大学女子駅伝に3年連続で出場するなど、チームのけん引役として実力をいかんなく発揮しました。


▲チーム初となる全日本大学女子駅伝への出場(前列中央)

 ただ、「最大のカルチャーショックは勉強でした」と言います。ネイティブ教員によるオールイングリッシュの授業やセミナーハウスに住む留学生との交流など戸惑うことばかりでした。一方で、夢だった教員免許の取得に向けて励みました。

 監督の勧めから駅伝だけでなくマラソンにもチャレンジしました。1カ月にマラソンを3大会に出場したり、2度も大阪国際女子マラソンのネクストヒロイン選手に選ばれたり。「山本監督だったからこその挑戦もさせてもらいました」と振り返ります。中学と高校の教員免許も取得することができました。


▲大阪国際女子マラソンのネクストヒロイン選手に選ばれました(左から2番目)

 「勉強に部活に全力投球。あっというまの4年間でした」

■実業団選手として学ぶ

 床呂さんは、初マラソン後から声をかけてくれた京セラで、競技に集中して自分の限界に挑戦したいと心に決め、卒業後の進路に京セラ女子陸上競技部を選びました。

 故障や新型コロナウイルス感染症による大会の出場制限などの壁にもひるむことなく走り続けました。東京オリンピック日本代表の選考レースとなったさいたま国際マラソンでは、海外選手と肩を並べて走り、自己ベストを更新しました。


▲海外選手と肩を並べて走ったさいたま国際マラソン(左から2番目)

 今でも印象的な記憶として残っているのが、京セラチームとして出場した全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)です。

 チームに初めて海外選手として迎えたケニア人の選手に対して、チームの先陣を切ってコミュニケーションをとることができました。言葉の壁を乗り越え、お互いの文化や価値観を尊重し合うことは、外大で学ぶことで自然と身に付いていました。

 レースで、ケニア人選手に万感の思いを込めて、タスキをつなげたことをまるで昨日のことのように覚えています。


▲招待選手として走った北海道マラソン

■営業マンをサポートする側に

 「実業団選手のときは、社員の皆さんからサポートを受けて練習や試合に取り組んでいました。これからは自分がサポートする側に回って恩返しします」と力強く語ります。

 大学時代に山本監督から繰り返し言われていたのが「自主自立」でした。自分で足りないものや身に付けたいことを計画し行動し続けてきました。

 現在は自らの幅を広げたいと考え、資格試験の勉強に励んでいます。「競技者を引退した後も社会人としての挑戦を後押ししてくれる会社に感謝し、大学時代に勉強も陸上も頑張っていた自分を思い出しながら、自分を高めたいと思います」と表情を引き締めました。



 
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