「チカーナ・チカーノの歩みと現在」 武庫川女子大学・松原陽子准教授が講演

 イベロアメリカ研究センター主催の2016年連続公開講座「アメリカにおけるヒスパニックパワーの拡大」の第3回講座が1114日開かれ、武庫川女子大学の松原陽子准教授が「メキシコ系アメリカ文学でたどるチカーナ/チカーノの歩みと現在」のテーマで講演。チカーノ文学作品の数々を日本語と対比しながら解説した。

▲メキシコ系アメリカ文学について解説する松原陽子准教授

 まず松原准教授は冒頭、サンドラ・シスネロス(代表的なチカーナ作家)、ルイス・バルデス(チカーノ演劇の父)、ルドルフォ・アナーヤ(チカーノ文学の父)のメキシコ系アメリカ文学を代表する3人を紹介。3人が芸術勲章などを受章したことで、現代アメリカ文学のなかでのチカーノ文学が一定の評価を受け、チカーノ文学が盛り上がり始めた約50年の功績が認められたものだ―という。

▲チカーノ文学の成り立ちなど松原准教授の話に聞き入る市民ら

 1965年、カリフォル二ア州の農場労働者によるストライキで始まった「チカーノ運動」。運動を文化面から支援したのが劇作家のルイス・バルデスで、農場労働者からなる農民劇場という劇団を結成。政治的、社会的意識の向上を図った。バルデスは、ロサンゼルスで実際に起こった白人軍人とメキシコ系アメリカ人の暴動をチカーノの視点で捉えた78年の代表作「ZOOT SUIT」を書き下ろした。さらに、チカーノ運動の中心人物だったロドルフォ・コーキー・ゴンザレスが、67年に叙事詩「私はホアキン」を発表し、若い世代に強い影響を与えた。69年には、チカーノ運動のマニフェストともいえる「アストラン精神宣言」を執筆。チカーノのアイデンティティのよりどころともなった。72年、ルドルフォ・アナーヤがデビュー小説「ウルティマ、僕に祝福を」を発表。これまでに最も読まれたチカーノ作品とされている。作品は、第2次世界大戦末期のニューメキシコ州の田舎町を舞台にメキシコ系アメリカ人少年の成長の過程を描いた。

 チカーノ文学を通して再生されたチカーノ運動の排他的、性差別的な思想・理念に抗して立ち上がったのが、メキシコ系アメリカ人女性・チカーナたちだった。米国では、60年代半ばフェミニズム運動の高まりを受け、70年代半ばには、チカーナによる女性運動が活発化。しかし、黒人女性中心のフェミニズム思想は、チカーナにとって全面的に共感できるものではなかった。そこでチカーナたちは自らの経験を説明するために、自分自身の思想・理念を展開していくことになる。

こうして生まれたのが、フェミニズム活動家で劇作家のシェリー・モラガ、グロリア・アンサルドゥーアが81年、アンソロジー「私の背中と呼ばれるこの橋」を発表し、チカーナ作家が登場することになる。続いて84年には、詩人で小説家のサンドラ・シスネロスが小説デビュー作「マンゴー通りの家」を出版した。チカーノ文学の特徴について松原准教授は、成長物語、越境を扱ったテーマが多いという。

このようにチカーノ文学は女性作家の活躍で、チカーノ運動と連動していたころの男性作家の視点が見直されてきたとしている。

一覧を見る